モーガン・フリーマン
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1989年『ドライビング Miss デイジー』
セシル・B・デミル賞
2011年
全米映画俳優組合賞
助演男優賞
2004年『ミリオンダラー・ベイビー』
生涯功労賞
2017年
その他の賞
ケネディ・センター名誉賞
2008年

備考
ハリウッド・ウォーク・オブ・フェーム
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モーガン・フリーマン(Morgan Freeman, 本名: Morgan Porterfield Freeman, Jr., 1937年6月1日 - )は、アメリカ合衆国テネシー州メンフィス出身の俳優映画監督ナレーター

2004年『ミリオンダラー・ベイビー』でアカデミー助演男優賞を受賞。その他にも『ドライビング Miss デイジー』、『ショーシャンクの空に』、『セブン』などのヒット作に出演歴があり、その安定感と味のある演技によってアメリカのみならず世界各国で賞賛を浴びる実力派国際俳優であり、最も名誉ある俳優の一人である。身長187cm。
経歴
生い立ち

1937年6月1日、テネシー州メンフィスに出生。父モーガン・ポーターフィールド・フリーマン(1961年肝硬変により死去)は理髪師で、母メイミー・エドナは清掃婦だった。モーガンには3人の兄がいる。フリーマン家はミシシッピ州グリーンウッドインディアナ州ゲーリーなど多くの地を転々とした後イリノイ州シカゴに居を据えた。モーガンは9歳の時小学校の演劇で主役を務めている。

12歳の時には州の演劇コンクールで優勝し、高校時代にはテネシー州ナッシュヴィルでラジオ演劇に出演していた。1955年、ジャクソン州立大学の演劇奨学金を断り合衆国空軍の機械工となった。
デビュー前

1960年代前半、モーガンはロサンゼルスへと移住。クリント・イーストウッドなどが通っていたロサンゼルス・シティー・カレッジに事務員として勤務した。一時期はニューヨークにも住んでいたことがあり、1964年に開かれたニューヨーク万国博覧会でダンサーを務めた。またサンフランシスコではオペラ歌劇団にも所属していた。
デビュー

モーガンの実質的な役者デビューは、巡業劇団に所属していた時に出演した『The Royal Hunt of the Sun』という劇で、1965年公開のシドニー・ルメット監督の『質屋』という映画にも出演している。1967年には『The Niggerlovers』でヴィヴィカ・リンドフォースの相手役としてオフ・ブロードウェイにデビュー。翌年の1968年には、役者全員が黒人バージョンの『ハロー! ドリー』でブロードウェイの舞台に立った。

端役としてではないフリーマンの最初の出演作品は1971年公開の『Who Says I Can't Ride a Rainbow?』という映画であったが、彼が有名になったのは連続テレビドラマシリーズ『Another World』とPBSテレビの子供番組『The Electric Company』だった。

「『エレクトリック・カンパニー』に関しては1 - 2年やって辞めるべきだった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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