モンマルトル
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代表的な人物には、フィンセント・ファン・ゴッホピエール・ブリソーアルフレッド・ジャリジャック・ヴィヨンレイモン・デュシャン=ヴィヨンアンリ・マティスアンドレ・ドランシュザンヌ・ヴァラドンピエール=オーギュスト・ルノワールエドガー・ドガモーリス・ユトリロアンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックテオフィル・アレクサンドル・スタンランらがいる。彼らはモンマルトルを制作の場にしたほか、モンマルトルの風景を描いた作品も制作した。

モンマルトルのボヘミアン芸術家の最後の人物といえるのが1975年に亡くなったジェン・ポール(Gen Paul)であろう。彼はモンマルトルに生まれ、ユトリロの友人だった。ラウル・デュフィに多くを負う、書道のような表現主義的な筆致のリトグラフには、絵になるモンマルトルの記憶を残したものもある。

1965年にリリースされフランス国内で人気を博したシャルル・アズナブールの『ラ・ボエーム(La boheme)』という曲は、彼の若い頃のモンマルトルでの思い出を歌ったものである。彼の親もモンマルトルに流れてきたアルメニア人であった。彼はこの曲を、モンマルトルがボヘミアンたちの根城だった最後の日々への別れの歌であると述べている。

モンマルトルは第一次世界大戦の直前あたりから急速に観光地化・高級住宅地化(ジェントリフィケーション)が進み、地価高騰と混雑を嫌った芸術家たちはモンパルナスに移っていった。伝統のブドウ畑も戦間期の1929年に一時姿を消したが、慈善団体「モンマルトル共和国」を1921年に結成していたイラストレーターのフランシスク・プルボらが直後の1933年に植樹して復活させ、現在でもモンマルトルではワイン造りが続けられている[1]
モンマルトルの現在モンマルトルの階段

モンマルトル美術館は、モーリス・ユトリロ、シュザンヌ・ヴァラドンがアトリエを構えていたベレール邸に入っており、ブドウ畑時代からエコール・ド・パリに至るモンマルトルの文化・歴史を知ることができる。美術館のもう一つの建物で主に企画展に使われるドゥマルヌ邸(2012年に改修)はモリエール劇団のロジモン(フランス語版)こと、クロード・ド・ラ・ローズ(1640-1686)や画商ジュリアン・フランソワ・タンギー(ゴッホ作『タンギー爺さん』)が住んでいたことで知られる。ベレール邸もドゥマルヌ邸もモンマルトルで最も古い館であり、ルノワールはこの敷地に1875年から1877年まで住み、『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会』(1876)、『ぶらんこ』(1876)、『モンマルトルのコルトー通りの庭』(1876) などを制作した。他にもエミール・ベルナールラウル・デュフィ、シャルル・カモワン(フランス語版)、などがここにアトリエを構え、詩人のピエール・ルヴェルディ、作家のレオン・ブロワ(フランス語版)などもここに住んでいた。

有名な画家の多くがモンマルトル墓地やサン・ヴァンサン墓地に葬られている。モンマルトル墓地はモディリアーニが自殺した場所でもある。

日夜、多くの観光客がテルトル広場、サクレ・クール寺院、キャバレー・ラパン・アジル、ムーラン・ルージュ、ピカソらのアトリエ、ユトリロの描いた風景を訪ねて歩いている。映画『アメリ』の公開後はロケ地めぐりの観光客も増加した。サクレ・クール寺院へは丘の南麓からフニクレールと呼ばれるケーブルカーが観光客を乗せて運行されている。

モンマルトルは歴史地区に指定され、その歴史的景観や特徴を保持するため開発は最小限度しか許可されない。バルベス界隈は移民が多く、アフリカアラブの物産が手軽に買えるが治安はあまり良くない。一方、モンマルトルの西南麓のピガール界隈はパリ随一の猥雑な歓楽街風俗街で、風俗店アダルトビデオ店、アダルトショップなどが並んでいることでパリ市民には有名である。
脚注・出典^ a b 【乾杯 世界のどこかで】フランス、モンマルトル産ワイン/守り抜いた地で芽吹いた命『毎日新聞』朝刊2018年10月30日(くらしナビ面)2018年11月8日閲覧。

関連項目

モンパルナス

ソーホー (ニューヨーク)

神戸北野 - モンマルトルとは友好提携地区となっている。

外部リンク

モンマルトル・ガイド

ウィキメディア・コモンズには、モンマルトルに関するカテゴリがあります。

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