モンペリエ
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コメディー広場北につながるエスプラナード公園に面して、ファーブル美術館がある。19世紀のフランス絵画を中心とした展示の中で、ギュスターヴ・クールベの『こんにちは、クールベさん』(1854年)と『パラバスの海岸』(1854年)は一見の価値がある。友人ブリュイヤスの誘いを受けてこの地を訪れたクールベは心機一転、新しい作風に取り組み、アカデミズムの束縛から解き放たれた自由な絵画を世に問うて行くことになる。
モンペリエ大学

モンペリエ大学は第1から第3までに分かれている。
モンペリエ第1大学:医学部・薬学部・法学部

北西郊外のEuromedecin地区の病院、医療研究所、製薬会社と一体となって先端研究も行っている。法学部は街の東の新市街に近代的校舎を建てて移転した。
モンペリエ第2大学:理学部

物理や化学の研究が活発で広いキャンパスを有する。CNRS研究者も多く在籍している。文学部と同じ街の北西にある。
モンペリエ第3大学:文学部

通称「ポール・ヴァレリー」。短期の外国人向けフランス語コースを設定しており、世界各地から語学留学生が集まる。
近郊

セットポール・ヴァレリーの故郷である工業港町。モンペリエから南西へ車で30分弱。

パラヴァス=レ=フローPalavas-les-Flots:モンペリエから10分強の、地中海に面した小リゾート。

マグローヌMaguelone(現在はヴィルヌーヴ=レ=マグローヌに属する):かつて巡礼で栄えたひなびた廃修道院が海辺の砂洲に残る。

エーグ=モルトルイ9世が十字軍に出発したかつての地中海沿いの城郭町。近くに製塩所もある。

カマルグローヌ川河口の大三角州で、フラミンゴが多く飛来。白馬と黒牛が名物。水田もある。白馬に乗れるスポットもある。

サント=マリー=ド=ラ=メール:カマルグ南端の地中海に張り出した小村。毎年初夏にロマの祭りが行われる。フレデリック・ミストラルの名作「プロヴァンスの少女-ミレイユ」のクライマックスで哀れなミレイユが意識朦朧となりながらたどり着いたのが、この村の小さな教会である。

サン=ギレム=ル=デゼールSaint-Guilhem-le-Desert:ミヨーMilhaud方面へ車で1時間ほどの、石灰岩台地の渓谷に隠れるように存在するかつての巡礼の宿場町。小さなロマネスク建築の教会があるだけだが、中世そのもののかわいらしい町並みはモンペリエ市民のお気に入りのスポット。近くに鍾乳洞Grotte de la Clamouseもある。

ニームガール県県庁所在地。モンペリエとほぼ同規模の街。歴史は古く、カエサルアウグストゥスの時代の帝政ローマ初期から栄えた。円形闘技場やフォンテーヌ公園など、見どころも多い。夏には闘牛も行われる。

ベジエエロー県第2の都市で、19世紀までは南仏ワインの中心地として栄えた。フィロキセラの猛威でブドウが壊滅して以降はやや衰退した(19世紀フランスのフィロキセラ禍)。ミディ運河観光の中継点としては便利。アルビジョア十字軍の際には、北仏軍にカタリ派とカトリック教徒の区別なく市民が虐殺された悲劇が起きた。

ペリエ工場:炭酸入りミネラルウォーターのトップブランド、ペリエの本社工場がモンペリエとニームの中間にある。

スポーツ

モンペリエHSC - サッカークラブ

モンペリエ・エロー・ラグビー - ラグビーユニオンクラブ

交通トラム 4系統

トラム (モンペリエ)
関係者
出身有名人詳細は「Category:モンペリエ出身の人物」を参照

フレデリック・バジール印象派の画家

アレクサンドル・カバネル: 画家

オーギュスト・コント: 哲学者

ジャンヌ・ドゥメッシュー: オルガニスト・ピアニスト・作曲家

ピエール・マニョール: 植物学者

ノストラダムス: ルネサンス期の医師・占星術師

エドゥアール・ロシュ: 天文学者

ジュリエット・グレコ: 歌手

エミリー・シモン: 歌手

グレゴリ・デランジェール: 俳優

レミ・ガイヤール: イタズラ者

ディディエ・オリオール: ラリードライバー

イネス・リグロン: 日本での事業に成功した女性実業家

居住その他ゆかりある人物

ポール・バラスフランス革命期の政治家


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