モンゴロイド
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モンゴロイドはその後、1万4000-1万2000年前にベーリング地峡(のちのベーリング海峡)を渡りアメリカ大陸に進出。また3000-2000年前には太平洋の島々にも移住した。
新モンゴロイドカルムイク人頭骨トマス・ヘンリー・ハクスリーの著作より(1901年)[5]マプチェ族の頭骨。サミュエル・ジョージ・モートンによる(1839年)。「新モンゴロイド」も参照

東ユーラシア北部の寒冷地域で独自の寒冷適応を遂げた集団が、かつての形質人類学で新モンゴロイドとされた人々である。

日本列島に到達した新モンゴロイドが渡来系弥生人で、日本列島全体においては、渡来系弥生人と縄文系弥生人の遺伝子が混ざりその後の大和民族和人が形成されたとする説がある。遺伝子分析の結果、縄文人の遺伝子は日本人の中でもアイヌに強く受け継がれており、大和民族にはアイヌと比べてその影響が少ないものの、日本人(アイヌ人、琉球人、大和民族)は皆縄文人の血を受け継いでいる。朝鮮半島に近い九州北部よりも、四国・近畿に渡来人由来と見られる遺伝子が多い[6][7]

新モンゴロイドは、寒冷地域に適合した体質として、比較的体格が大きく、凹凸の少ない顔立ち、蒙古襞(もうこひだ、目頭の襞)、体毛が少ないこと(特に男性ひげの少なさ)などの特徴を持っている。さらに、耳垢が湿ったあめ状ではなく乾燥した粉状となり、耳垢の特徴と同じ遺伝子によるわきがの原因となるアポクリン汗腺が少なく、頭髪が直毛であること、頭形は前後に短く横に広い短頭が一般的で脳容積が大きいといった特徴がある。新生児に蒙古斑が見られるのも特徴である。
モンゴロイド系とされた人々.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

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南北アメリカ大陸では、「モンゴロイド」の定着以前に人類は全く存在していなかったとの説が有力である。

モンゴロイドの一部は、フィリピン群島を経て東南アジアから太平洋に漕ぎ出し、イースター島ニュージーランドにまで到達している(今日のポリネシア人、ミクロネシア人)。さらに一部のモンゴロイドは、古代に稲作文化を携えてアフリカマダガスカル東部地域にも居住地域を拡大したとされる。途中のインド洋島嶼部の多くは無人島で、且つアフリカ東部や中近東の陸地伝いには彼らによる移動の痕跡がみられないため、反対方向に向かったラピタ人やポリネシア人と同じく、相当高度な航海技術によって海上ルートを進んだと思われる。

ユーラシア大陸のモンゴロイドは、当初はヒマラヤ山脈以東の太平洋沿岸及びその周辺を居住地域としていた。特に、モンゴル高原を中心とする中央アジア乾燥帯に居住した遊牧民達は生まれながらの騎兵であり、古代から中世の世界においては強大な軍事力を誇った。


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