現在のモンゴル国にあたる「外蒙古(がいもうこ)」とは、「内蒙古」とともに清朝時代につけられた呼び名で、現在も世界的に使われる用語である(英語でOuter Mongoliaと呼ぶ)。しかし、清朝側から見たこの呼称はモンゴル人に嫌われており、モンゴル人自身では「北(アル)モンゴル」と称している。また、モンゴル国の8割弱がハルハ族と呼ばれるモンゴル系の民族で占められているため、「ハルハ・モンゴル」とも呼ばれる。モンゴル国は世界で唯一のモンゴル人の独立国家であり、人口は256万人(2005年)、そのうち8割弱がハルハ・モンゴル族、残り2割強にその他モンゴル系、テュルク系民族の16部族が居住する。言語はハルハ・モンゴル語が標準語で、文字は1941年以来キリル文字であるが、民主化後は古来の縦書きモンゴル文字を復活させようという動きがある。
[1]
内モンゴル(中国・内蒙古自治区)詳細は「モンゴル族 (中国)」を参照
現在中国領である内モンゴル自治区は、清朝時代に「内蒙古(ないもうこ)」と呼ばれ、もともとはモンゴル帝国(北元)の中心地でチャハル・モンゴルの支配域であったが、17世紀に清に編入されて以降中国領となっている。現在もなお「内蒙古」と呼ばれているが、上記の理由からモンゴル人自身では「南(オボル)モンゴル」と呼ばれている。人口はモンゴル国の外モンゴルに対し、モンゴル系モンゴル族が1割であり、残り8割が漢族で占められており、文化的に漢化が進み、モンゴル語を解さないモンゴル族もいる。文字は伝統的な縦書きモンゴル文字を使用する。
[2] 中国の新疆ウイグル自治区のにはかつてオイラトのジュンガル帝国の子孫であるオイラド族が居住しており、ボルタラ・モンゴル自治州・バインゴリン・モンゴル自治州が行政区画に存在する。寧夏・甘粛地方にはイスラム教徒であるドンシャン族、バオアン族が居住している。 [3] ロシア連邦のブリヤート共和国にはモンゴル語北部方言に属するブリヤート語を話すブリヤート人が住んでいる。自治共和国の総人口は97万人(2005年)であり、そのうちの半数はロシア人である。「ブリヤート」とはロシア風の発音で、もともとは「ボリヤド」という。ブリヤート人は12?13世紀ごろ「森の民(オイン・イルゲン)」と呼ばれ、モンゴル北部の森林地帯で狩猟と牧畜を営んでいた。1207年、チンギス・カンの長男ジョチによってモンゴル帝国に編入されて以来、モンゴル民族となり、その影響でチベット仏教も広まった。17世紀よりロシアの侵入が始まり、1689年のネルチンスク条約によってロシア領となる。1920年には赤軍により極東共和国が建てられ、まもなくソ連領となり、1923年にはブリヤート・モンゴル自治共和国に編入され、1958年には現在のブリヤート自治共和国に改称された。また、カスピ海北岸のカルムイク共和国には上記のオイラド族と同族であるカルムイク人が住む。
その他中国領内のモンゴル
ロシア領のモンゴル