モロッコ王国(モロッコおうこく、アラビア語: ??????? ????????、ベルベル語: ??????? ? ??????)、通称モロッコは、北アフリカ北西部のマグリブに位置する立憲君主制の国家である。東でアルジェリアと、南で西サハラ(紛争地域)と、北でスペインの飛地(セウタとメリリャ)と接し、西は大西洋に、北は地中海に面している。首都はラバトである。
南に接する西サハラはスペインが放棄後、モロッコと現地住民による亡命政府であるサハラ・アラブ民主共和国が領有権を主張している。モロッコは西サハラの約7.5割を実効支配しているが、領有を承認しているのはアメリカ合衆国をはじめとした50か国程度にとどまり、国際的には広く認められていない(西サハラの法的地位(英語版)を参照)。実効支配下を含めた面積は約604,107 km2(うち[6]、西サハラ部分が190,100 km2)、人口は33,848,242人(2014年国勢調査[7])。
地中海世界とアラブ世界の一員であり、地中海連合とアラブ連盟とアラブ・マグリブ連合に加盟している。モロッコはサハラ・アラブ民主共和国を自国の一部であるとの立場のため、独立国家として承認していない。1984年にサハラ・アラブ民主共和国のアフリカ統一機構(2002年にアフリカ連合へ発展)加盟に反対して同機構を脱退し、アフリカ大陸唯一のアフリカ連合(AU)非加盟国であったが、2017年1月31日に再加入した。 正式名称はアラビア語で、??????? ????????(ラテン文字転写は、Al-Mamlaka l-Maghribiya:アル=マムラカ・ル=マグリビーヤ)。通称、??????(al-Maghrib:アル・マグリブ)。「マグリブの王国」を意味する。 公式のフランス語表記は、Royaume du Maroc(ロワイヨーム・デュ・マロック)。 通称、Maroc。 公式の英語表記は、Kingdom of Morocco(キングダム・オヴ・モロッコ)。通称、Morocco。 日本語の表記は、モロッコ王国。通称、モロッコ。漢字の当て字は、摩洛哥・馬羅哥・莫羅哥・茂禄子など[8]。 アラビア語の国名にある「マグリブ」は、「日の没する地」「西方」を意味する。「マグリブ」は地域名としては北アフリカ西部を指すが、モロッコはマグリブの中でも最も西の果てにある国と位置付けられる。中世には他のマグリブ地域と区別するために「アル=マグリブ・ル=アクサー」(極西)とも呼ばれていた。 アラビア語以外の多くの言語での国名である「モロッコ」は、以前の首都マラケシュに由来する。 トルコ語での国名は「Fas」で、1925年までの首都フェズに由来する。 先史時代にベルベル人が現在のモロッコに現れた。古代には沿岸部にカルタゴのフェニキア人によって、港湾都市が築かれた。一方で、内陸部ではベルベル系マウリ人
国名
歴史詳細は「モロッコの歴史」を参照
アル=アンダルスのイスラーム化
ローマ帝国が衰退すると、429年にゲルマン系のヴァンダル人がジブラルタル海峡を渡り、アフリカに入った。マウレタニアはユスティニアヌス1世の時代には再び東ローマ帝国の支配下に置かれたが、8世紀初頭にイスラム帝国であるウマイヤ朝が東方から侵攻してモロッコを征服し、モロッコのイスラーム化とアラブ化が始まった。アラブ人はモロッコを拠点にジブラルタルを越え、イベリア半島の西ゴート王国を滅ぼし、アル=アンダルスのイスラーム化を進めた。
788年にアッバース朝での勢力争いに敗れた亡命アラブ人イドリース1世が、イスラーム化したベルベル人の支持を得て、イドリース朝を建国した。