2018年5月1日に、モロッコのブリタ外務大臣が、イランとの国交を断絶したと表明した。西サハラで独立運動を展開するポリサリオ戦線に対して、イランおよびイランの影響下にあるヒズボラ(レバノンのイスラム教シーア派組織)が、アルジェリア経由で支援を与えている事を理由に挙げた。なお、イランとは2009年?2014年にも断交していた[17]。
2021年8月24日にアルジェリア政府は、カビリー地方の独立運動や国内の山火事にモロッコが関与しているとして、モロッコとの国交断絶を宣言した[18]。
政治詳細は「モロッコの政治(英語版)」を参照
国家体制は国王を元首とする、立憲君主制を採っている。現国王として在位しているのはアラウィー朝のムハンマド6世である。憲法によって議会の解散権や条約の批准権を認められており、軍の最高司令官でもある。
2011年の2月から4月にかけて、アラブの春の影響でデモが発生し、憲法改正が承諾された。2011年7月の憲法改正により、国王の権限縮小と首相の権限強化が為された[19]。「モロッコの君主一覧」および「モロッコの首相の一覧」も参照
議会は1996年から両院制に移行し、下院は5年の任期で定数は325議席、上院は6年の任期で定数は90から120議席である[20]。2007年に行われた下院選では、保守系のイスティクラル党(独立党とも)が52議席を獲得して第1党、イスラーム主義の公正発展党が46議席で第2党、選挙前の最大勢力であった左派の人民勢力社会主義同盟(英語版)は大きく議席を減らし、38議席になった。
2011年の憲法改正後、2011年11月25日に実施された下院選挙では、定数395議席の内、公正発展党 (PDJ) が80議席を獲得し、第1党となった[21][22]。政党連合「民主主義連合」を形成する独立党(イスティクラール党)は45議席となった。この2011年の選挙以降は、それまで国王任命であった首相が、選挙で多数議席を獲得した政党から選出されている。「モロッコの政党」および「モロッコ議会」も参照
合法イスラーム主義政党の公正発展党以外にも、モロッコ・アフガンやAQIMなどの非合法イスラーム主義組織が存在する。しかし、2003年のカサブランカでの自爆テロ事件以降、非合法イスラーム主義組織は厳しく取り締まられている。
国家安全保障詳細は「モロッコ王立軍」を参照
モロッコには18ヶ月の徴兵期間が存在し、50歳まで予備役義務が存在する。国軍は王立陸軍、海軍、空軍、国家警察、王立ジャンダルメから構成される。国王は憲法によって軍の最高司令官であると規定されている。2003年のカサブランカでのテロのような例外を除いて、軍の派遣は稀である。国際連合は小規模な監視部隊を、多くのモロッコ兵が駐留している西サハラに維持している。
なお、赤道ギニアなど数か国に、元首の警護や軍事教練などを目的として、少数の将兵を派遣している。
地方行政区分モロッコの行政区画詳細は「モロッコの行政区画」を参照
モロッコの行政区分は、12の地方と、51の第2級行政区画で構成されている。この行政区画は西サハラおよびサハラ・アラブ民主共和国の実効支配地域を含む。
主要都市詳細は「モロッコの都市の一覧」を参照
2021年時点で、人口100万人を超えていた都市が2つ存在する。一方で、2020年時点でも、都市人口率は63.5パーセントと低い[23]。
カサブランカ - モロッコ最大の都市で、2021年時点での人口は、314万人である[24]。映画でも名を知られている。加工貿易のための特区が設けられている。さらに、金融業のための特区も設けられている。
ケニトラ - 2021年の時点での人口は、36.7万人である[24]。加工貿易のための特区が設けられている。
エルジャディダ - 2021年の時点での人口は、14.8万人である[24]。
マラケシュ - 2021年の時点での人口は、83.9万人である[24]。観光業が盛んである。かつては都が置かれ、モロッコの国名も、この都市名に由来する。
フェズ - 2021年の時点での人口は、96.5万人である[24]。かつてはモロッコの首都であった。迷宮のような市街地が有名。
タンジール - 2021年の時点での人口は、68.8万人である[24]。