モルモン教
[Wikipedia|▼Menu]
□記事を途中から表示しています
[最初から表示]

1970年日本万国博覧会(大阪万博)には、パビリオンを出展した[21]
戦争に関して

末日聖徒イエス・キリスト教会の戦争に対する姿勢は「選択的平和主義」である[22]。これは暴力および武力に対して個々の場合によって賛成・反対を決めるという主義である[22]。19世紀のメキシコ戦争には派兵したが、南北戦争には参加しなかった[22]20世紀後半のベトナム戦争と1991年の湾岸戦争に対しては、アメリカ合衆国の多くのキリスト教教派が戦争に反対したにもかかわらず、末日聖徒イエス・キリスト教会は武力攻撃に賛成した[23]。ベトナム戦争の時は信者の海外伝道の義務より兵役を優先させた[23]
戦争に関する声明

末日聖徒イエス・キリスト教会は、戦争地域紛争に関して、キリスト再臨の日までなくなることはないという考えを持っており、個々の戦争や地域紛争に関して公式なコメントを出すことは稀である[要出典]。しかし、第二次世界大戦が勃発した1942年4月に、次のコメントを発表した。「教会は戦争に反対の立場である。いや反対しなければならない。主が新しい命令を下さない限り戦争を仕掛けることはできない。戦争が国際紛争を解決する正しい手段であるとみなすことはできない。国際紛争は平和的な交渉や調整によって解決しなければならない。国々が同意すればできるはずである。」[要出典]

さらに広島の原爆投下についてアメリカに対して非難の声明を発表した。第二次大戦終了後の1946年10月5日に公式の席で、当時の最高指導者会に属するJ.ルーベン・クラーク副管長が、以下のコメントを残している。「この戦争の最たる残忍性は、われわれアメリカ人が日本に原爆を投下して何十万もの民間人を消し去ってしまったことである。…関係者は今原子爆弾は間違いであったと言っている。それどころではない、あれは世界にとって悲しむべき惨事であった。…原爆の惨事で最悪のことは全米国民がそろってこのおぞましい大量虐殺を承認したことであった。」[要出典]

1991年の湾岸戦争のときに末日聖徒イエス・キリスト教会の最高指導者の一人トーマス・S・モンソンは「モルモン教会は常に国家に忠実であれと教えてきた。戦争の時には、われわれは国旗に忠実であることに躊躇しない。(中略)現在、三万五〇〇〇人のモルモン教徒が兵役についており、五四〇〇人がサウジ・アラビアに派遣されている。彼らは自由とアメリカ的伝統のために戦っているのだ。」と語った[23]
教義の概要

完全な肉体を持つ天の父なる神と、その長子イエス・キリストと、霊体でありイエスをキリストと証明する聖霊とを信じ、父なる神とイエス・キリストと聖霊はそれぞれ別個の存在であって、人類の救いという目的のために常に一致して事をなすとされている(三位一体の否定)。アダムの咎は、神が与えた自由意志の結果であり、人類を生ずるために神の目に適った行いであった(原罪の否定)。この咎によって堕落が生じ、この世に不完全さと死がもたらされ、すべての人は自分の行いにより真理を学ぶ機会を与えられた。イエスはアダムの咎の責任と、万物の不具合を埋め合わせるために死をもって贖いを完成し、キリストとして人を父なる神にとりなす者となった。人の救いに関しては、イエス・キリストによって、全人類は、当人の思いと行いに応じて、最後の審判の日に相応に裁かれると信じている。

神の国(天国)には、後述するような三つの段階(日の光栄、月の光栄、星の光栄)があり、神の国に入る条件を拒絶した者(聖霊を汚した者など)は「外の暗闇(地獄)」に追い出される。最後の審判の目的は、当人が天のどの光栄に所属するか、あるいは神の国の外に追われるかを決定するものである。

神の国に入った者は互いに助け合って永遠に成長する機会が与えられる。その中には神格が与えられる者も出る。最後の審判の日に、神、キリストを拒み、聖霊までも拒む者は、神の国には入れずサタンと共に取り残される。生のあるうちに教団の教えを聴く機会のなかった者でも、来世においてそれを聞く機会が与えられ、死後でも、イエス・キリストを受け入れるかどうかは本人の選択の自由に任せられ、選ぶことの出来る期間が与えられていると信じられている。
聖典モルモン書金の本からパピルスに写されたとされる変形エジプト文字


























モルモン書
神の導きを受けアメリカ大陸に移住した民族《現在のアメリカ先住民》の歴史書。古代アメリカ大陸に実在したとされる預言者モロナイの示現を受け、ジョセフ・スミス・ジュニアが実際に掘り起こしたという金色の金属板でできた記録(以後、金板)の3分の1を翻訳したものとされている。それは古代ヘブライ語(改良エジプト文字)で書かれた物を、神の助けにより英語に「翻訳」したとされ、翻訳された書物は原版の編集者である預言者モルモンの名前にちなんで「モルモン書」と名づけられた。1830年3月26日に最初の版が出版された。金板はモロナイに返還され、天に保管されているという。モルモン書に対する多くの偏見がある中、当該教会は2011年10月の月刊誌にモルモン書の特集号を設けている。[LDS 5]モルモン書の存在に関する聖書との位置づけとイエスの意向として、モルモン書のニーファイ第二書29章9節には「わたしがこれを行うのは、わたしが昨日も、今日も、またとこしえに変わらないことと、わたし自身の望むままにわたしの言葉を語るということを、多くの人に証明するためである。したがってわたしが一言語ったので、もう一言も語れないと思ってはならない。わたしの業はまだ終わっていないからである。わたしの業は人の存在が尽きるまで終わらないし、その後とこしえに終わりがないのである」[LDS 6]と書いてあるように、神の言葉とする聖書が『旧約聖書』と『新約聖書』に限りがないという内容で記載してある。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:139 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef