モヘンジョダロ
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モヘンジョダロからの出土品は初めにラホール博物館に預けられ、その後、イギリス領インド帝国の新しい首都のために「中央帝国博物館」の設立を計画していたニューデリーの考古調査局へと移され、その中から一部が展示されることになった。インドの独立が近づいていることは明らかだったが、インド・パキスタン分離独立はプロセスの終盤まで予見されていなかった。新たなパキスタン当局は、自国の領土で発掘されたハラッパ文化の遺品の返還を要求したが、インド当局はこれを拒否した。最終的に、発掘品、約12,000点(大部分が陶片)が両国間で均等に分けられるという合意に達した。具体的には、一部のネックレスや帯はそのビーズが二つの塊に分けられるというまさに文字通りの方法で分けられた。さらに「最も有名な彫刻の二体」について、パキスタンは神官王像の保有を要求し、インドはより小さい踊る少女を保有することになった[17]。また、インドはパシュパティの印章も保有し続けた。

インドが保有しているモヘンジョダロの遺物の大部分は、ニューデリーインド国立博物館に、パキスタンへ返還されたものはカラチのパキスタン国立博物館に所蔵されている。また、多くの遺物は現在モヘンジョダロ自体に設立された博物館にも展示されている。1939年には、インド考古調査局の局長によって、現地で発掘された一部の代表的な遺物が大英博物館に移された[18]
気候

モヘンジョダロは、砂漠気候ケッペンの気候区分 BWh)を有しており、極端に暑い夏と穏やかな冬が特徴である。記録上最高気温は2010年5月に記録された53.5 °C (128.3 °F)で、最低気温は2006年1月に記録された?5.4 °C (22.3 °F)である。降水量は少なく、平均年間降水量は100.1mmで主にモンスーンの季節(7月から9月)に集中している。最高の年間降水量は2022年に記録された1023.8mmで、最低の年間降水量は1987年に記録された10mmである。

モヘンジョダロの気候
月1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月年
最高気温記録 °C (°F)29.4
(84.9)36.5
(97.7)45.5
(113.9)48.5
(119.3)53.5
(128.3)51.7
(125.1)47.6
(117.7)46.0
(114.8)43.5
(110.3)49.5
(121.1)39.2
(102.6)30.6
(87.1)53.5
(128.3)
平均最高気温 °C (°F)24.8
(76.6)26.2
(79.2)32.1
(89.8)38.7
(101.7)43.8
(110.8)44.2
(111.6)40.9
(105.6)38.7
(101.7)37.5
(99.5)35.2
(95.4)30.5
(86.9)24.8
(76.6)34.78
(94.62)
日平均気温 °C (°F)16.0
(60.8)17.0
(62.6)22.7
(72.9)28.8
(83.8)33.9
(93)35.8
(96.4)34.4
(93.9)32.8
(91)31.1
(88)26.7
(80.1)21.1
(70)16.0
(60.8)26.36
(79.44)
平均最低気温 °C (°F)7.3
(45.1)7.9
(46.2)13.3
(55.9)18.9
(66)24.0
(75.2)27.4
(81.3)27.9
(82.2)27.0
(80.6)24.7
(76.5)18.2
(64.8)11.8
(53.2)7.3
(45.1)17.98
(64.34)
最低気温記録 °C (°F)?5.4
(22.3)?4.0
(24.8)2.2
(36)3.0
(37.4)13.0
(55.4)15.6
(60.1)18.4
(65.1)18.0
(64.4)14.5
(58.1)0.0
(32)?1.0
(30.2)?4.0
(24.8)?5.4
(22.3)
降水量 mm (inch)2.6
(0.102)5.8
(0.228)3.4
(0.134)2.9
(0.114)2.2
(0.087)2.5
(0.098)39.9
(1.571)26.6
(1.047)6.6
(0.26)0.4
(0.016)0.9
(0.035)6.3
(0.248)100.1
(3.94)
平均降水日数0.20.50.90.20.30.41.91.40.30.10.10.36.6
出典:PMD (1991?2020) [19]

遺跡を巡る現代史

文明遺跡としての発見は、1922年インド考古調査局員であった歴史学者R・D・ボンドパッダーエ(: Rakhaldas Das Bandyopadhyay、ベンガル語: ???????? ?????????????[注釈 2])の発掘調査によってなされた[20]1980年パキスタンの申請で「英語名:Archaeological Ruins at Moenjodaro(和訳名:モエンジョダーロの考古遺跡)」の名でユネスコ世界遺産文化遺産に登録された。

遺跡が属する地域一帯では地下水の上昇による塩害が進行し続けているが[21]、モヘンジョ=ダロはこれを覆い隠してきた堆積物が大規模に取り払われた1965年以降、遺構の構成物である煉瓦が塩分を吸い上げて風化してゆく塩分砕屑現象が止まらない。そうして土に還ってしまった遺構も少なくはなく、保存の問題が何十年も叫ばれ続けている。

また、パキスタン洪水(2022年)で被害を受け、大きく損壊したために、州当局はユネスコに支援を要請した[22]
ユネスコ世界遺産
登録基準

この世界遺産は世界遺産登録基準のうち、以下の条件を満たし、登録された(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。

(2) ある期間を通じてまたはある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。

(3) 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。

脚注[脚注の使い方]
注釈^ 城塞並みに重厚な建造物であることからそのように呼ばれているが、城塞とは異なり、戦争用の遺物は見られない。


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