モビルスーツバリエーション
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また、ガンプラブームにより、徳間書店の『テレビランド』などをはじめとする各社各誌・各書籍でも模型作例が次々に発表されていたが、中でもホビージャパン社の雑誌「ホビージャパン」では、小田雅弘高橋昌也川口克己といった、模型サークル「ストリーム・ベース」に所属する3人のモデラーを中心に人気を博していた。当時、ホビージャパン編集部と講談社は良好な関係にあったため、『HOW TO BUILD GUNDAM』(ホビージャパン・1981年7月)誌上にて「ストリームベース」が大河原の「ザクバリエーション」を模型として立体化、さらには別冊『HOW TO BUILD GUNDAM 2』(1982年5月)でも「黒い三連星仕様ザク06R」「ジム・キャノン」「ゲルググキャノン」などの「ストリームベース」による模型作品が発表された。なお、「モビルスーツバリエーション」という言葉が初めて登場したのは、『HOW TO BUILD GUNDAM』の巻頭カラーページに掲載されたモビルスーツ模型作例群のタイトルである[2]

その後、氷川竜介が都合により現場を離れるが、安井は代わりに「ストリーム・ベース」の3人と交流を持ち、安井を中心に「クラフト団」が誕生。『テレビマガジン』(講談社)でも模型を発表するようになり、別冊『SFプラモマガジン』が発売されるにいたった。『SFプラモマガジン』1巻では、『GUNDAM CENTURY』で設定された「MS-06R 高機動型ザクII」の画稿が大河原によって書き下ろされ、『GUNDAM CENTURY』の記述を元に小田雅弘が設定を作り、大河原がデザインを起こすという後の「MSV」への基礎ができあがった。

1981年11月、講談社の雑誌『コミックボンボン』が創刊するとこの流れはさらに加速、創刊号から毎号、『SFプラモマガジン』と同じようにテレビに登場しないオリジナルモビルスーツのイラストを大河原が描き下ろし、「ストリーム・ベース」の3人を中心とするモデラーが立体化するという企画が行われた。これは『GUNDAM CENTURY』にて、多数の「ザクIIバリエーション」が設定されていた事も大きく影響していた(ただし、この時点では『機動戦士ガンダム』だけではなく『太陽の牙ダグラム』や『戦闘メカ ザブングル』なども平行して連載されており、この中では『機動戦士ガンダム』の地球連邦と『太陽の牙ダグラム』の地球連邦は同一の組織であるという展開が行われていたり、『無敵ロボ トライダーG7』などもミリタリー調にリデザインされたイラストが描かれたりしているなど、まだ雑誌上の単なる遊びの域を抜けていなかった)。1982年1月には『プラモ狂四郎』の連載が始まり、漫画内にそれまでに培われた「ザクバリエーション」も登場。さらにオリジナルモビルスーツ「パーフェクトガンダム」の登場により、人気はピークに達した。『コミックボンボン』には、ほかにも、『MSV』シリーズ内で設定されたエースパイロットを描いた漫画『エースパイロット列伝』もあり、これは後に漫画『機動戦士ガンダム MS戦記』(1984年11月号 - 1985年2月号に掲載)に発展した。
MSV誕生前夜

一方、バンダイでは、アニメ『機動戦士ガンダム』の初回放映終了後に発売されたプラモデルシリーズは大好評で、劇中に登場するモビルスーツやモビルアーマーの全種類、主要艦船までも発表しつくしてしまい、プラモデルのラインナップに限界を感じ、新たな企画を模索していた。

例えば、人物をプラモデル化した「キャラクターモデルシリーズ」や劇中の場面を再現したディオラマ「情景模型シリーズ」が発売され、「サイド7」のプラモデル化までが企画された。また、アニメの設定にとらわれないものとしてモビルスーツの内部構造を露出させた「メカニックモデル」なども発売したが、これらは従来のガンプラシリーズからはかけ離れており、主力とはいいがたかった。

そこで、前述の「ザクバリエーション」にバンダイは目をつけたが、まだ当時はアニメに登場しないメカが商売になるとは到底考えられない時代であり、商品化には慎重だった。そこでまずは前段階として、大河原邦男が描いた劇場版ポスターのイラストや小田雅弘の作例を意識し、従来のモビルスーツの成型色をミリタリー調に変更した「リアルタイプシリーズ」を発売、また、「1/100 旧ザク」には講談社発行の書籍『講談社のポケットカード8 機動戦士ガンダム モビルスーツコレクション』にて大河原によって新たに設定された専用マシンガンを付属させた。これらは、アニメに登場しないにもかかわらず人気の商品となった(参照:ガンプラの一覧)。
未登場モビルスーツ(試作メカ)

そして新たな企画の一つが、『機動戦士ガンダム』の未使用原稿に原案が記載されており、サンライズ(当時は日本サンライズ)発行の書籍『機動戦士ガンダム記録全集』にて発表されていたアッグアッグガイジュアッグゾゴックを「未登場モビルスーツ」シリーズ(「試作メカ」シリーズ、「没メカ」シリーズとも)としてプラモデル化することだった(1982年7月 - 11月)。

誕生の経緯から、これらの機体のプラモデルのパッケージは、アニメ作品に登場していないにもかかわらず、『機動戦士ガンダム』シリーズのそれと同一の構成がなされることになった。このようにアニメに登場しないキャラクターを製品化することは当時としては非常に珍しいことであり、絶対に成功しないと考えられていたため、バンダイにとってこれは大きな賭けだった。マイナーさゆえに、広告やポスターには「機動戦士ガンダム記録全集(日本サンライズ発行)に紹介された未登場モビルスーツです」といった注釈がつけられるなど、宣伝にも工夫が行われた。

当初は待望の新モビルスーツということもあり、没メカは画面に出ないだけでちゃんとジャブロー攻略に用いられたという設定になっており、その為後のMSVの時期に実戦においてパーツを換装した機体(アッグ武装型など)のイラストが描かれ、『テレビマガジン』にはセル画の絵物語でアッグガイ&ジュアッグとガンダムの交戦が描かれ、テレビ未登場機のハンディを埋めるための展開が成された(後のMSV時期に4機チームのトンネル掘削による強襲作戦は行われなかったと設定され、特務モビルスーツという名称がつけられた)。

「未登場モビルスーツ」シリーズは1/144スケールだけではなく1/100スケールも販売され(1/100ジュアッグも発売予定はあったが中止)、十分といっていい成績を残した。『MSV』シリーズの発売を検討していたといわれるバンダイにとって、その前段階的存在と見ることもできる当シリーズの成功は、『MSV』シリーズの販売は商業的に可能という自信を与えた。
MSVの誕生

以上からアニメに登場しないモビルスーツでも十分に商売が可能と判断されたことと、ガンプラブームにより十分な市場が確立されたこと、そして2年間のガンプラの販売により技術が積み上げられたことなどから判断し、ついにバンダイは1982年秋に「ザクバリエーション」の商品化を発表した。しかし、ザクだけでは商品展開に困ることから新たな名称を検討する必要があり、小田雅弘によって『モビルスーツバリエーション』と名付けられ、合わせて『MSV』のロゴも作られた。これを機に『コミックボンボン』のライバル誌である『テレビランド』で活動していた草刈健一も安井の要請により『コミックボンボン』に参加。1983年初頭に商品化を発表し、バンダイの『模型情報』や講談社の『コミックボンボン』『テレビマガジン』にて設定やデザイン、模型作例を発表する連載が行われた。

なお、この時点でバンダイのグループ再編が行われた。プラモデルを担当していたバンダイ模型は親会社であるバンダイに吸収され、バンダイのホビー事業部となった。
MSV

プラモデルシリーズ(1983年4月 - 1984年12月)としての名称は商標として『機動戦士ガンダム』の表記が必要なため、プラモデルのパッケージや広告では『機動戦士ガンダム モビルスーツバリエーション』(機動戦士ガンダムMSV、MOBILE SUIT GUNDAM/MOBILE SUIT VARIATION、MOBILE SUIT VARIATION GUNDAM)と表記された。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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