モノレール
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1956年にアメリカ合衆国のヒューストンに試験線が作られ[34]、8か月のテストののちに解体されダラスに移転[35][36]、しばらく使われた。

動力は310馬力の内燃機関を2台搭載しており、案内はレール上面に設けられた板状のガイドレールによって行われた[37]。運転士はレール下のキャビンではなくレール上の台車に搭乗して運転した[38]。想定での最高速度は160km/hであり、都市近郊(インターアーバン)や都市間の高速交通機関として使うことを想定して作られたが、実用化されることはなかった。
ロープモノレール

ロープモノレールは、軌条に金属レールではなくワイヤー状の鋼索を用いた日本の東京索道が開発したものである。形状からロープウェイとどちらに分類されるかは議論が残るが、動力を車両に持つという点でモノレールに分類される。

動力は電気ではなく、唯一の実例である五台山ロープモノレールはディーゼルエンジンであるように内燃機関を採用して車両となるゴンドラに装備し、鋼索軌道にかかるローラーを駆動することで走行する。このためゴンドラは、一般的な鋼索ロープウェイと異なり気動車に分類される。スカイレールとは逆で軌条はロープであるが動力は各車に搭載しているため、通常のロープウェイと異なり状況に応じて各ゴンドラの走行速度を調整することができる。安全な運行には信号設備が不可欠であるが、他種のモノレールより敷設コストが安く、電化も不要である。

1969年高知市五台山に観光用として五台山ロープモノレールが敷設されたが、当時の定期観光バスのルートから外れていたため集客に苦慮し、1978年に廃止となった。

東京索道は五台山ロープモノレールの開発と建設に約50件の特許を取得したと言われるが、以降、この種の鉄道・軌道線は海外も含め建設されていない。
年表日本のモノレールについては「日本のモノレール#歴史」を参照

1820年頃、ロシアのモスクワ近郊の村Mychkovoでロシア人技術者イワン・エリマノフ(Иван Кириллович Эльманов; Ivan Kirillovich Elmanov)が馬に引かせるタイプのモノレールを発案したとする記録がある。ただし、それが実用化されたのか、どのような構造のものかなどは、不明[39]

1821年11月22日にイギリスのヘンリー・ロビンソン・パーマーがパーマー式モノレールの特許を申請。これは懸垂式のもので、動力は馬である。1824年に貨物用として実用化、1825年に旅客用が開通した。

1829年にマクセル・ディックが軌道レールの下にレールを付加して転落を防止するように改良し、特許を申請。

1868年にバラクロウフ・フェルが跨座式と懸垂式をミックスしたような方式のモノレールを考案、バロー・イン・ファーネス近郊で、鉄道駅との間で利用開始。動力は馬であった。

1868年、フランスでラルマンジャ式モノレール(案内軌条式鉄道)が15か月にわたって試用された。この方式は1870年頃にリスボンにも導入された。

1869年にJ・L・ハッドンが、シリアでモノレールを建設。これは、通常の鉄道だと砂漠の砂で線路が埋まってしまうためである。

1872年リヨンリヨン国際博覧会で会場内で利用される。

1876年、アメリカ合衆国フィラデルフィアで開催されたアメリカ合衆国建国百年博覧会にリロイ・ストーン式モノレールが登場しデモンストレーションが行われた。跨座式で動力は蒸気。

1878年、アメリカ合衆国ペンシルベニア州に6.4キロ長の工事用モノレールが作られたとの記録が残されている。1本の上にまたがり左右の重量バランスを取って走る方式で、蒸気を動力とする。機関車のボイラーが爆発事故を起こしたことから早々に廃線となった。

1886年、アメリカ合衆国マサチューセッツ州ケンブリッジでマイグス式モノレールが建設された。独特の構造を持つ跨座式で、動力は蒸気。

1887年、アメリカ合衆国ニュージャージー州で懸垂式モノレールが建設された。後に実用化されるランゲン式モノレールに類似したもので、電化された最初のモノレールでもあった。

1888年、アイルランド・ケリー県で跨座式の一種ラルティーグ式を採用したリストウェル・パリブニオン鉄道が開業。1924年に内戦によって被災し廃線になるまで実用的交通機関として機能した。動力は蒸気。

1890年、アメリカ合衆国でボイントン式モノレールが提案され、デモンストレーションが行われた[40]。動力は蒸気。

1900年頃、ジャイロスコープ式モノレールが提案された。これは1本のレールの上に自立するもので、懸垂式にも跨座式にも分類できない。提案されたにとどまり、実用化はなされなかった。

1900年、ロシアの発明家イッポリト・ロマノフ(Ипполита Владимировича Романов Ippolit Vladimirovich Romanov)が開発した懸垂式モノレールが、現在のレニングラード州に属するガトチナ市に作られたという記録がある[39]。延長は0.2キロの試験的なもので、電気動力を採用していた。

1901年、ドイツで懸垂式のランゲン式を採用したヴッパータール空中鉄道が開業した。電気動力を採用。この路線は、世界最古の実用モノレールとして21世紀初頭現在も盛業中である。

1910年、アメリカ合衆国ニューヨーク市ブロンクスでボイントン式を採用した路線が開通した。動力は電気。この路線は1914年に廃止された。

1910年、インドのパティアーラ州にユーイング式モノレール(案内軌条式鉄道)が開業した。州立鉄道のシステムとして採用されたもので、1927年まで実用的な交通機関として使われた。動力は蒸気。

1911年、アメリカ合衆国ワシントン州シアトルでウィリアム・ボイエスがモノレールを試作している。木製の軌道を採用して大胆に建設費用の低減をはかったが、実用化しなかった。

1914年、イタリアのジェノヴァで博覧会向け交通システムとして跨座式モノレールが作られた。これはのちのアルヴェーグ式に類似していた。

1919年、フランスでラウル式モノレールの試験線が建設された。これはランゲン式と類似の支持方式を持つ懸垂式モノレールで、駆動方法はプロペラだった。

1924年、アメリカ合衆国カリフォルニア州で最後のラルティーグ式モノレールが開業。マグネシウム鉱山の産業用軌道である。

1930年、イギリスでラウル式モノレールを改善した形式のモノレールの試験線が建設された。「ジョージ・ベニーのレールプレーン」と呼ばれたが、実用化しなかった。

1952年アルヴェーグ式モノレールの試験線が建設された。アルヴェーグ式はその後の跨座式モノレールの基本となったもの。

1956年、アメリカ合衆国テキサス州ヒューストンに懸垂式の「スカイウェイ」と呼ばれるモノレールの試験線が建設された。ランゲン式をアレンジしたような様式のもので動力は内燃機関。8か月のテストののち、このモノレールはダラスに払い下げられ、「トレイルブレイザー」として1964年まで使われた。

1957年、日本で懸垂式の上野式モノレールが開業した。

1957年、アルヴェーグ式モノレールの開発が一段落し、発表された。

1959年、アメリカ合衆国のディズニーランドがアルヴェーグ式モノレールを実用的交通機関として開業した。

1960年、フランスにサフェージュ式モノレールの試験線が建設された。この試験はその後7年にわたって行われた。

1961年、イタリアのトゥーリンでアルヴェーグ式モノレールが開業。

1962年、アメリカ合衆国のシアトルでアルヴェーグ式モノレールが開業。

1964年、日本の東京でアルヴェーグ式の東京モノレールが開業。

1964年、アメリカ合衆国ニューヨークの万国博覧会でIビーム懸垂式のモノレールが使われた。

1966年、日本の川崎姫路で跨座式のロッキード式モノレールが開業。

世界のモノレール詳細は「モノレールの一覧」を参照
世界記録

乗降客数世界最多の路線:
重慶軌道交通3号線、乗降客数1日当り682,800人 (2014年平均)[41]

世界最大の路線網:重慶軌道交通(2・3号線)、80.0km[42]


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