モノレール
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実用的な交通システムとしては、スペインで開発されたユーロトレン (Eurotren) [20]とアメリカ合衆国で開発されたアーバノート (Urbanaut) がある。逆T字方式は、アルヴェーグ式と異なり、レール上面にタイヤが乗らないために、高さを抑えることができるというメリットがある。
ユーロトレン
ユーロトレンは1980年から開発がはじめられた。2.4kmの試験線が作られ、1989年で開発が一段落したとされる。この方式は21世紀初頭現在実用化されていないが、断念されたわけではないらしい。[要出典]
アーバノート
詳細は「アーバノート」を参照アーバノートは、アルヴェーグ式の開発にも携わった技術者のエイナー・スヴェンソンがより進んだ跨座式モノレールとして開発した方式である。「タイヤハウスが室内に突出している」「車高が非常に大きい」「分岐器が大規模なものとならざるを得ない」などの、アルヴェーグ式の重大な欠点を解消することを目的としてデザインされた。大韓民国で初めてのモノレール「月尾銀河レール」路線が2009年に仁川月尾島で開通予定だったが、手抜き工事や試運転中の事故多発により安全が保証できずに計画が全面白紙化され、小型の観光用モノレールへ転用された。
案内軌条式鉄道

日本の法律上はモノレールに分類されないが、案内軌条式鉄道の一部に、一本の案内用軌条を中央に有し重量は別に設けられた走路が負担する逆T字方式モノレールに近い形態の、VONA方式を採用した桃花台新交通桃花台線山万ユーカリが丘線がある。札幌市営地下鉄も類似する札幌方式が用いられている。
産業用モノレール



みかん運搬用モノレール

車両

軌条

人が乗った、タケノコ搬出用モノレール

産業用の簡易輸送施設としてモノレールを使うという発想は古くからあり、起源は不明である。モノレールの嚆矢とされるPalmer式モノレールも産業用モノレールとして始まっており、その後も多くの同様の趣旨で作られた路線があった。ここでは、もっぱら産業用として限定的に開発されたモノレールの系譜についてまとめる。

遅くとも1949年に、交通機関としてではなく不整地での工事用・工場内での物資輸送などを主な目的とする産業用モノレールが開発され商品として販売された。同年に、イギリスのレール・マシンズ・リミテッド (Rail Machines Ltd.) から発売されていたという記録がある[21][22]。この産業用モノレールは、特許取得の記録が残されており、それなりに商業的にも成功をおさめたようである。

日本では、1966年に、当初は主にみかんを初めとする果樹栽培の、急傾斜地での労働軽減を目的とした農業用モノレールがニッカリと米山工業株式会社によって開発・販売された。これらは摩擦ではなくラック・アンド・ピニオンで車両を駆動するようになっている。速度が遅いという欠点はあったものの、勾配に強く、最大45度まで許容できた。

この農業用モノレールは、基本的に物資輸送用であり人間が乗ることは想定されていなかった。しかし、その物資輸送用モノレールに無理やり乗車する者が後を絶たず、しばしば死傷事故を引き起こした。そのため、「乗車することを止められないのならば、安全に乗車できるシステムを」という方向で、農林水産省・厚生労働省・経済産業省なども参加して安全基準などを定める方向に至った。

その後、人員輸送用にも使えるものや、急傾斜地の工事現場で作業用道路が不要となることが注目されてコンクリートなどの資材や小型重機などの運搬ができるものなど、高性能で安全なものが開発されるようになり、多くの会社で製品化されている。

物資運搬用以外にも、長崎市斜面移送システムのような自動車道路の建設が困難な地域での生活の足や、老齢者の福祉介護用、山岳地帯の送電塔などの保守用、急傾斜を登らなければならない展望観光地の観客輸送・バリアフリー施設用などにも用途が広がっている。日本国外でも農業用[23]、パイプラインの敷設[24]など産業用モノレールとして使用実績もある。

これらの中には、重量物輸送用の高性能タイプなど主軌条のほかにバランスを取るための副軌条を持つシステムもあり、厳密には「モノレール」とは呼べないものも含まれている。しかし副軌条を持つものを含めて、おおむね「産業用モノレール」としてまとめられている[25]

産業用モノレールの主な銘柄としては、以下のものがある。

モノラック(株式会社ニッカリ/ ⇒米山工業株式会社) - 日本国内農業・産業用モノレールトップシェア[いつ?]

エルタラインキャリア( ⇒株式会社エルタ

オートワゴン( ⇒株式会社 正富

ハイラック( ⇒飯田ユニパー株式会社

ゴーリキ( ⇒光永産業株式会社)

簡易型モノレール横浜病院の「ごんたん」(横浜市保土ケ谷区

遊園地のアトラクションや博覧会場内の移動用としての簡易なモノレールもさまざまな会社で製造されている。

横浜市保土ケ谷区狩場町にある育生会横浜病院のモノレールは、国道1号権太坂バス停付近)と高台にある病院を結ぶ。病院が高台へ移転した際に、鉄道ファンの理事長の発案で設置された。ちよだ製作所(香川県高松市)の製造である。病院公式サイトでは、名物モノレール「ごんたん」として紹介されている。当初の塗色はクリーム色と黄緑色のツートンカラーであったが、2016年に湘南電車の色に変更され、下り側に「急行 東海」のヘッドマークシールが貼付され、上り側は病院グループのマークシールが貼付されている。[26]

つくばで行われた国際科学技術博覧会の会場内交通機関として使われた「ビスタライナー」を製造した泉陽興業は、同システムを発展させた「ニュービスタライナー」をローコストで軽量級の交通機関として提案している[27]。同様に、スイスを拠点とする遊戯施設メーカー・インタミンも実用モノレールをラインナップしており[28]モスクワや中国深?での採用実績がある。イギリスに本拠を置く遊戯施設メーカー・セヴァーン・ラムもSLシリーズという実用モノレールを製造しており、アミューズメントパークの交通機関だが、イタリアのサヴォイで採用実績がある。
かつて考案された古典的な方式

モノレールあるいはモノレールに類似した交通システムには、考案されたが実現しなかったもの、ごくわずかな実例しか存在しなかったもの、一時期はある程度普及したがその後廃れたもの、などがたくさん存在する。一部を歴史順に記す。
パーマー式フリードリッヒ・ハーコート(ドイツ語版)によるパーマー式モノレールの図解

高い位置にレールを通し、そこから車両をぶら下げる懸垂式モノレール。荷台・客室は左右に振り分けられ、バランスを取っていた。ヘンリー・ロビンソン・パーマー(Henry Robinson Palmer)(英語版)が開発したもので、1821年11月22日にイギリスで特許が登録されている。1824年にロンドンのデプトフォード造船所に荷物輸送用のものが作られ、翌1825年ハートフォードシャーに旅客輸送用モノレールが開設された。のちにランゲン式を採用したヴッパータール空中鉄道を建設することになるヴッパータールでもパーマー式モノレールの導入が検討されたが、実現はしなかった。当初の動力は馬・人・ラクダ(北アフリカ産)などだったが、詳細不明ながら遅くとも1878年頃までに蒸気動力が導入されていたことがわかっている[29]

本方式が一般的に「世界最初のモノレール」とされている。
ユーイング式ユーイング式

1本のレールに車体が乗り、車体の片側に取り付けられた幅広の車輪で支持して転倒しないようにして走行する方式。19世紀後半(1868年頃?)にイギリス人発明家のチャールズ・ユーイング (Charles Ewing) により考案されたものと考えられている。ユーイング式は、線路に全重量の95%程度がかかるように設計されており、走行抵抗は通常の鉄道と大差ない程度におさえられている。レールを1本しか必要としないため敷設コストが節約できるほか、線路が占有する幅員が狭いために道路と同居しやすいという利点があった。案内は一本の軌条が行うが、全重量をその軌条が負担するわけではなく、厳密には案内軌条式鉄道に分類される。

本方式はイギリス人のウィリアム・サロルド (William Thorold) が具体化し、インドのパティアーラ州立鉄道 (PSMT) に導入された。PSMTは1910年に開通した路線で、馬力鉄道として開通したのちにオーレンシュタイン・ウント・コッペル社製造の蒸気機関車が導入され、全盛期は2路線で80kmの行程であった。

PSMTは道路の改良と自動車の出現によって1927年に廃止され、長らく存在が忘れられていたが、1962年に再発見された。後年に車両は保管されてインドのニューデリー鉄道博物館で動態保存されている。


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