モノレール
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実用的な乗り物としては、1964年から1965年にかけて開催されたニューヨーク万国博覧会の会場内輸送に使われたAMFタイプモノレールを挙げることができる[13]。他に、タイタン社がリニアモーター駆動のシステムを提案しているが、これは実用化されていない[14]
スカイレールスカイレールみどり坂線

スカイレールは、神戸製鋼所三菱重工業が急傾斜地の頂上にある住宅街スカイレールタウンみどり坂と谷側の鉄道駅を結ぶために1990年代に開発した小規模交通システムで、概念としてはIビーム式による懸垂式モノレールシステムに含まれる。

一見したところロープウェイに類似した乗り物だが、ロープではなく高架構造の軌道桁にゴンドラがぶら下がっている。そのためロープウェイと比べて風に強いが、支持体の鋼桁を設置する必要があるためロープウェイよりかなりコストが高くなる。車体の支持・案内方法はIビーム式を採用している。

駆動系に特徴があり、軌道桁に沿ってロープを通し、それが一定の速度で回っており、駅間では車輌はそのロープをつかんで駆動され、駅では、車両はロープから離れて、地上一次式のリニア誘導モーターで駆動される。そのため、基本的に線路は「複線でループ構造[15]」となる。最小回転半径は30m、最大勾配は270パーミル(27%)、最大距離は3.2km、想定輸送力は2,200人/時間。一般の軌道系交通機関とはかなり様相が異なる小規模短距離システムではあるが、概念としてはモノレールに含まれ、見方によっては懸垂式ケーブルカーとの解釈もできる個性的な運送機関である。

広島県広島市スカイレールサービス広島短距離交通瀬野線が唯一の導入事例であるが、2024年4月末での廃止が予定されている[16]
跨座式跨座式モノレールの模式図。左から「リロイ・ストーン式ラルティーグ式」「アルヴェーグ式」「逆T字方式」。

跨座式(こざしき)とは、車両の下にレールがありレールに車両がまたがっている形態のモノレールである。跨がり式とも呼ばれる。

跨座式はその多くが、軌道桁の上にある走行路を走行輪が接して車両重量を支えて車両を走行させ、軌道桁の左右に接する案内輪と安定輪で車両を案内するという方法を取る。この方法では、車両の床下と軌道桁上部の間に車輪があり、さらにその下に案内車輪が存在するため、車両の高さが通常の鉄道車両よりはるかに大きくなるという欠点がある。他に、軌道桁の下部左右に車両重量を支える車輪を設け、上部を左右方向に抑えて案内をする、マイグス式や逆T字方式[17]もある。この方式では、車輌の高さをおさえることができるが、一般化はしていない。日本では、日立製作所によってドイツから導入された、コンクリート製の軌道上をゴムタイヤで走行する「アルヴェーグ式(アルウェーグ式)」あるいはこれを基に規格を統一した「日本跨座式」と呼ばれる方式が主流である。過去に川崎重工業が導入した、コンクリート軌道上に設置された鉄製レール上を鉄車輪で走行する「ロッキード式」や、東芝がアルウェーグ式を参考に独自に開発した「東芝式」もあった。電車線は軌道桁の両側面に2つ設置しており(直流のプラスとマイナスの線)、車両側の集電装置で電力が供給される。

日本国内では東京モノレール大阪モノレール沖縄都市モノレール(ゆいレール)などで採用されている。
アルヴェーグ式アルヴェーグ式の東京モノレール詳細は「ALWEG」を参照

アルヴェーグ (ALWEG) 式は、スウェーデン実業家であるアクセル・レンナルト・ヴェナー=グレンが特許を取得し、事業化した方式である。アルヴェーグ式という名称は、ヴェナー=グレンの頭文字であるAxel Lennart Wenner-Grenの頭字語である。日本では日立製作所が事業展開していることから日立アルヴェーグ式とも呼ばれる。

日本国内においては東京モノレール羽田空港線名鉄モンキーパークモノレール線(2008年廃止)、よみうりランドモノレール(1978年廃止)で採用された。
東芝式

アルヴェーグ式を参考にして東京芝浦電気(現:東芝)が開発。連接台車や自動ステアリングを採用したことが特徴。

本方式はかつて、松尾國三の肝いりで奈良ドリームランドモノレールとして採用後、横浜ドリームランドへのアクセスとして1966年5月開業のドリーム交通モノレール大船線で採用された。

しかし後者は経路に急勾配が多く、連結器や台車などの駆動系部品を中心に設計変更が生じ、車両重量の設計値超過のため故障が頻発するとともに橋脚のコンクリートに亀裂が発生する事態となり、陸運局からの勧告を受けて1967年9月に休止となった。結果、ドリーム交通と設計した東芝との間で長期に及ぶ訴訟となり、その間に設備劣化が進行したこともあり、訴訟終結後も運行再開されないまま車両などの解体撤去が行われた(その後紆余曲折を経て2003年に正式廃止)。このことから奈良ドリームランドでは、車両更新の際は日本輸送機にて新車両が製作された。
日本跨座式「日立モノレール」も参照

1967年度に運輸省が、交通渋滞が悪化した環境でより優れた輸送手段として、モノレールを対象とする「都市交通に適したモノレールの開発研究」を日本モノレール協会に委託した。研究結果として懸垂式と一緒にまとめられたものが、日本跨座式である。

日本跨座式はアルヴェーグ式をベースに、軌道桁を太くし、台車を東京モノレール500形電車で採用された2軸ボギーの空気ばね台車とし、ゴムタイヤを使用する。アルヴェーグ式よりも床面高さを高くすることで、室内の床を平面にした。しかし、「重心が高くなるために曲線の通過速度が遅くなる」「プラットホームと線路床面の落差が2メートル以上となり、転落の際の安全性に問題があり、ホームに転落防止柵設置が必須となる」「車両断面が大きくなるためトンネルを設けるコストが大きくなる」などの欠点が生じた。

この方式は、日本万国博覧会(大阪万博)で会場内の交通機関として採用された。以後に跨座式を採用して開業した路線はすべてこの方式である。

日本国外にも輸出されており、中華人民共和国重慶軌道交通2号線、3号線、大韓民国大邱都市鉄道公社3号線は日本跨座式が採用されている。

日本国内のモノレールは多くの路線が休廃止しているが、本方式を採用した路線は2020年時点でも、大阪万博でのモノレールを除いた全路線が運行を継続している。

日本跨座式の多摩モノレール

多摩都市モノレール1000系電車の日本跨座式の動力台車。A空油変換器(ブレーキ用)・Bライニング制輪子・C駆動装置・Dブレーキディスク・E走行輪・F空気ばね・Gモーター・H安定輪に伸びる台車枠のアーム(下に安定輪がある)・I案内輪。

ロッキード式「日本ロッキード・モノレール」も参照

ロッキード式は、アメリカ合衆国の航空機メーカーであるロッキード社が開発した方式である。コンクリート製の軌道の上に鉄のレール(主レール)を敷き、その上を鉄の車輪を使って走行する。鉄製の車輪のため、小径の車輪でも車両の重量を負担することができ、室内の床は平面ですむ。また車体を安定させるために、主レールの頭部側面を左右から上部安定輪でおさえている。さらにコンクリート桁の左右下部にも鉄レール(サイドレール)が設けられており、そのレールを左右から下部安定輪でおさえている[18]

日本では、ロッキード社から技術を導入するため、川崎航空機工業、川崎車両、日本電気、西松建設、北海道炭礦汽船丸紅飯田などが出資した日本ロッキード・モノレールが1961年5月に設立された[18]。当初は時速160km/hでの高速営業運転が可能である、乗り心地が良い、といった点をアピールポイントとしていた。姫路 - 鳥取間を高速ロッキード式モノレールで繋ぐという計画もあった[19]。しかし、鉄路であるため騒音が激しく、メンテナンス自体も鉄道並みに煩雑で、経年変化により揺れも激しくなるなど、デメリットが目立ち(当時の記録映像でも車内で揺れが激しいことが見て取れる)、日本以外での導入事例はなく、ロッキード社自体もこのモノレール事業からは早々に撤退した。

この方式は、姫路市交通局(当時、のち姫路市企業局交通事業部を経て廃止)の姫路市営モノレール1966年開業 - 1974年休止・1979年廃止)と、小田急電鉄向ヶ丘遊園モノレール線1966年開業 - 2000年休止・2001年廃止)の2路線で採用された。


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