モネータ(ラテン語: Moneta)は、ローマにおけるユーノーの添え名[1]。
モネータは「忠告する」という意味の「ラテン語: monere」が語源である[1]。 ユーノー・モネータ神殿は、元々ローマの強敵であったウェイイにあり、紀元前396年、英雄マルクス・フリウス・カミッルスがウェイイを陥落させた際、他の財産と共にローマへと移転させた。移転作業の際、最初は皆その神聖な神体に手を触れることを恐れたが、ある一人の若者が冗談まじりに「ユーノー様、ローマへ行きたいのではありませんか?」と語りかけ、それを聞いた他の者たちは「肯定された」「行きたいと言われた」と口々に言い合い、運び出されたという。神像は独裁官カミッルスがユーノー神の座所と定めたアウェンティーヌスの丘に置かれ、神殿が築かれた[2]。
逸話
紀元前345年、アウルンキ人との戦争の際、時の独裁官ルキウス・フリウス・カミッルスが、戦勝祈願としてユーノー神殿の建立を誓約し、カピトーリウムにあったマンリウス・カピトリヌスの屋敷跡[注釈 1]に建設された[4]。ここには公文書が保管された[5]。
また、その神殿内に貨幣鋳造所が置かれたため、この名は「マネー(Money)」という英語の語源となった[1]。
注釈・出典
注釈^ 彼は後に処刑され財産も没収された
出典^ a b c d 高津春繁 『ギリシア・ローマ神話辞典』 岩波書店 1960年、290-291頁。
^ リウィウス, 5.22.
^ リウィウス, 5.47.1-5.
^ リウィウス, 7.28.1-5.
^ リウィウス, 第2巻 p.171 脚注(3).
参考文献
ティトゥス・リウィウス 著、岩谷智 訳『ローマ建国以来の歴史 2』京都大学学術出版会、2016年。
ティトゥス・リウィウス 著、毛利晶 訳『ローマ建国以来の歴史 3』京都大学学術出版会、2008年。
表
話
オリュンポス十二神相当
ユーピテル
ユーノー
ミネルウァ
アポロー
マールス
ウェヌス
メルクリウス
ディアーナ
ネプトゥーヌス
ケレース
ウゥルカーヌス
ウェスタ
その他の神々
男神
ヤーヌス
ウーラヌス
ウェルトゥムヌス
サートゥルヌス
ソール
クピードー
バックス