モナ・リザ
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ルーヴル美術館など「燃えてしまえ」と言い放ったことがあるフランス人詩人ギヨーム・アポリネールに盗難の容疑がかかり、アポリネールは逮捕、投獄された。このときアポリネールは友人だったパブロ・ピカソに助けを求めようとしたが、ピカソも事件への関与が疑われ、尋問のために警察へと連行された。証拠不十分で両者共に釈放されているが、後にアポリネールもピカソも全く事件とは無関係だったことが証明されている[19]

『モナ・リザ』の再発見については悲観的な見方が大半だったが、事件発生から2年後に、かつてルーヴル美術館に雇われたことがあるイタリア人ビンセンツォ・ペルージャが真犯人であることが判明した。ペルージャはルーヴル美術館の開館時間中に入館し、清掃用具入れの中に隠れていた。ルーヴル美術館の閉館後に隠れ場所を出て『モナ・リザ』を外し、コートの下に隠して逃走したのである[10]。ペルージャはイタリア愛国者であり、イタリア人レオナルドの作品はイタリアの美術館に収蔵されるべきだと信じていたとされる。また、真作の『モナ・リザ』が失われれば複製画の価格が高騰すると持ちかけられたことも、動機となっているという説もある。ペルージャは2年間にわたって自身のアパートに『モナ・リザ』を隠していたが、フィレンツェウフィツィ美術館館長に『モナ・リザ』を売却しようとして、逮捕された。イタリアに持ち込まれていた『モナ・リザ』は、そのままイタリア中で巡回展示された後、1913年にルーヴル美術館に返却された。ペルージャはイタリアで裁判にかけられたが、愛国者であると賞賛され、投獄されたのは6か月に過ぎなかった[19]

第二次世界大戦中には戦禍を避けて、ルーヴル美術館からアンボワーズ城、ロク・デュ修道院 (en:Loc-Dieu Abbey)、さらにシャンボール城へと移され、最終的にモントーバンアングル美術館に収められた。1956年には観客から酸を浴びせられ、画面下部に大きな損傷を受けたことがあった[20]。さらに同年12月30日に、ボリビア人青年が『モナ・リザ』に石を投げつけた。これによって画面左下部の顔料が僅かではあるが剥落し、修復されている[21]

損壊事件が相次いだことから、『モナ・リザ』は防弾ガラスのケースに収められた。1974年4月には、東京国立博物館に貸し出し展示されていた『モナ・リザ』が、美術館の身体障害者への対応に憤った「足の不自由な女性」(米津知子)に赤色のスプレー塗料を吹き付けられたが、『モナ・リザ』は無事だった[22]。2009年8月2日には、フランス市民権取得を拒否されて度を失ったロシア人女性が、ルーヴル美術館の土産物屋で購入した素焼きのコップを投げつける[23][24]、2022年にはパリ近郊に住む男性が女性高齢者に変装してクリーム菓子を投げつける[25]、2024年には環境活動家の女性がスープをかける行為が行われたが[26]、いずれも2005年から設置されている防護用の強化ガラスが阻み『モナ・リザ』への影響はなかった。
構成と審美的評価画面背景右上の拡大画像。

『モナ・リザ』の女性像は、シンプルで安定感のある三角形の構図で描かれており、重ねられた両手が三角形の底辺を構成している。胸、首、顔、手は光源を同じくする光に照らし出され、光の効果が丸みを帯びたさまざまな表情を女性に画面に与えている。レオナルドは、座する聖母マリアが描かれた、当時の典型的ともいえる構成で『モナ・リザ』の女性を描いている。レオナルドがこのような構成で『モナ・リザ』を描いたのは、この女性像と作品の鑑賞者に距離感を持たせる効果を意図していた。左腕が乗せられた椅子の肘掛が『モナ・リザ』と鑑賞者とを隔てる役割を担っている。

女性は背筋を伸ばして座り、重ねられた両手は控えめな立ち振る舞いを意味している。視線はまっすぐに鑑賞者に向けられ、この静謐な空間を共有することを歓迎しているかのように見える。光に照らし出された明るい顔は、髪の毛、ベール、陰影などの暗い部分によってさらに強調されている。女性の顔は、レオナルドが用いた新たな技法によって不思議な表情を与えられている。輪郭を描くのではなく「主に口角と眼周辺を表現する (Gombrich)」スフマートの技法で女性の顔が描かれている[27]。現在ルーヴル美術館が所蔵する、ラファエロの『バルダッサーレ・カスティリオーネの肖像』は、1514年から1515年ごろに描かれた絵画で、間違いなく『モナ・リザ』の影響を受けている作品である。重ねられた両手の拡大画像。結婚指輪は描かれていないが、レオナルドはこのポーズでリザを描くことによって、高潔で貞淑な夫人を表現している[28]

『モナ・リザ』は空想的な風景を背景にして、一人の座る女性を描いた最初期の肖像画の一つである。レオナルドは空気遠近法 (en:aerial perspective) を絵画に取り入れた最初の画家の一人でもある[29]。この謎めいた女性は、暗色の柱に支えられた開かれたロッジアの中に座っている。背景にはうっすらとした凍てついた山並みなど広大な風景が描かれている。曲がりくねった小路と遠景の橋には、一人の人影も見えない。官能的に波打つ髪と衣服は、うねるように表現された背後の谷や川と調和している。ぼやけた輪郭、優美な女性像、明暗の劇的な対比、そして静謐さに満ちた雰囲気は、レオナルドの作風の典型ともいえる。レオナルドが成しえた女性像と空想上の風景との融合表現が、『モナ・リザ』が伝統的な肖像画なのか、それとも実在の女性ではなく理想的な女性を表現したものなのかという議論の原因ともなっている。

『モナ・リザ』に描かれている女性や風景については様々な臆測がある。例えば「15世紀後半の美的感覚、さらには21世紀の美的感覚に照らしても」モデルの女性が美しくは描かれていないことから、レオナルドは忠実にモデルの女性を写し取ったと考えられるなどといった説がある[30]。また、矢代幸雄のように、『モナ・リザ』の背景に描かれている風景画が、中国の山水画の影響を受けていると主張する西洋美術史家もいる[31]。しかしながら、これらの推測には確たる証拠がないため異論も多い[31]
保存状態

『モナ・リザ』が制作されて以来、500年以上が経過しているが、1952年に開催された美術品に関する国際会議で「この絵画(『モナ・リザ』のこと)の保存状態は極めて良好である」とされている[32]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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