モナコ
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居住者の30%以上がミリオネアで、2018年には不動産価格が1平方メートルあたり10万ユーロ(14万2,000ドル)に達している[7]。モナコは正式には欧州連合(EU)の一員ではないが、税関や国境管理など、EUの一部の政策に参加している。フランスとの関係から、モナコは唯一の通貨としてユーロを使用しているが、それ以前はモネガスク・フランを使用していた。モナコは2004年に欧州評議会に加盟し、フランコフォニー国際機関(OIF)にも加盟している。

F1グランプリの原型の一つであるストリートサーキットのモーターレース、モナコグランプリが毎年開催されている。フランス・リーグ・アンに所属するサッカーのクラブチームASモナコがあり、これまでに通算8度のリーグ優勝に輝いている。海洋保護の研究の中心地[8]であるモナコには、世界で初めて保護された海洋生息地のひとつ、海洋博物館国連組織の中で唯一の海洋研究所である国際原子力機関環境研究所がある[9]
国名の由来

モナコという地名は、現在のモナコの近隣に6世紀にあったポカイア人の入植地の名に由来する。その地はギリシャ語で「一軒家」を意味する Μ?νοικο? Monoikos の名で呼ばれていた。ギリシア神話では、ヘラクレスが現在のモナコの地を通りかかり土地の神々を退散させたとあり、それにちなんで1つの神殿が作られた。その1つの神殿が「一軒家」に転じ、地名が生じた。
歴史詳細は「モナコの歴史」を参照
17世紀までモナコ イタリア本土 (古代ローマ) 紀元前1世紀.モナコ ジェノヴァ共和国, イタリア 1494.モナコ ジェノヴァ共和国, イタリア 1796.フランスの侵攻 1860.青がマントンロクブリュヌ、1860年のトリノ条約で分離独立した。オレンジが現在のモナコ。

神聖ローマ皇帝ハインリヒ6世から1191年にこの土地を与えられたジェノヴァ共和国は、1228年に現在のモナコを建設した。1297年、ギベリン(皇帝派)に占領されていたモナコの要塞に、フランシスコ会の修道士姿に変装し法衣の下に武装して侵入したフランソワ・グリマルディらは、要塞の占拠に成功した。グリマルディは、現在のモナコ公家であるグリマルディ家の始祖である[注 2]。そのため、グリマルディは、「狡猾な男」とあだ名される。1419年、グリマルディ家はアラゴン王国からモナコを購入し、正式な支配者となる。1528年、アンドレア・ドーリアがジェノヴァの貴族層と庶民層の合体を企て、そのために政権を特定の28氏族へ集中させた。グリマルディ家はその一つに数えられた。また、1612年から prince の称号を自称し始めた。オノレ2世の時代にはフランス王ルイ13世の保護下に入ることでスペイン(アラゴン王国の後身)の支配を抜け出し、歴代のモナコ公は独立君主であると同時にフランス王の臣下(ヴァランティノワ公爵)として宮廷で高い地位を占めた[注 3]
18 - 19世紀

1793年、フランス革命軍がモナコを占領・併合した。1814年までモナコはフランス第一帝政の直接支配下におかれた。1815年に催されたウィーン会議の結果、モナコはサルデーニャ王国の保護下に入った。サルデーニャはジェノヴァの後継である。

1858年のプロンビエールの密約で、サルデーニャは、イタリア統一運動をフランスに支援してもらう代償として、1860年にはサヴォワサヴォワ県オート=サヴォワ県)とニース伯領(アルプ=マリティーム県)をフランスに割譲する。モナコ公の課す重税に倦み、サルデーニャへの併合を希望するマントンロクブリュヌは、モナコからの独立を宣言する。

シャルル3世は1861年、フランス・モナコ保護友好条約を締結、領土の95%にあたるマントンとロクブリュヌをフランスに売却し、見返りにモナコ公国の主権を回復した。.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

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20世紀

1911年、憲法を制定したことで立憲君主制となるも、モナコ大公は依然として絶対君主として振る舞い、アルベール1世はすぐに憲法を停止した。第一次世界大戦が勃発すると大公子ルイ(後のルイ2世)はフランス陸軍に志願、軍功をあげ将軍に上り詰めた。1918年、保護友好条約を再締結、フランスの保護国となった。ヴェルサイユ条約などの第一次世界大戦の講和条約においては、この条約を各国が承認する規定が設けられている。1922年、ルイ2世が即位する。モナコを文化・観光都市にする試みを続け、モナコ・グランプリの開催、ASモナコの創設などを行った。

第二次世界大戦中の1943年にイタリア軍がモナコを占領し、ファシスト政権を樹立した。ベニート・ムッソリーニの政権が崩壊すると、今度はナチス・ドイツドイツ国防軍が占領した。ドイツは同地でもユダヤ人の迫害を行った。「第二次世界大戦時のモナコの歴史(フランス語版)」も参照

ルイが1949年に死去すると、孫のレーニエ3世が即位した。1956年にはハリウッド女優のグレース・ケリーと結婚した。1962年、新憲法を制定した。この憲法で死刑が廃止され、女性参政権が実現し、また最高裁判所が設置された。1993年にモナコは国際連合に加盟した。
21世紀

2005年、レーニエ3世が死去し、息子のアルベール2世が即位した。同年12月、フランス・モナコ友好協力条約を締結した。この条約は、グリマルディ家に跡継ぎがなくなっても公国は将来も存続することをフランスが保証する代わりに、モナコの防衛は今後もフランス軍が行うことを骨子としている。また、モナコの自主的外交における制限が緩和され、外国と国交を結ぶ際のフランスによる事前同意が不要になった。モナコ全景(2017年)
政治アルベール2世(2010年)詳細は「モナコの政治(フランス語版、英語版、スペイン語版)」を参照


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