モスクワ講和条約
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フランスは、フィンランドが公に軍事支援を要求するのであれば、パイロット付きで爆撃機を提供してもよいとまでしていたが、フィンランドが講和してしまったので、ダラディエ政権はハシゴを外された形となり、議会で追及され、フィンランドの講和から1週間後の3月20日に総辞職した。

冬戦争終結直後、フィンランドは、ドイツにもソ連にも中立を維持する為のスウェーデン、ノルウェーからなる軍事ブロックの結成を試みたが、ソ連とドイツの反対で実現しなかった。1940年夏に、バルト三国がソビエト共和国化されてソビエト連邦に併合され、西ヨーロッパでは、ドイツの電撃戦によりフランスが降伏し、イギリスは本土防衛の為に英本土航空戦を戦っているという状況下では、フィンランドに残っている選択肢は、それほどあるわけではなかった。そのような状況のもとドイツと秘密協定を結び、やがて1941年6月ドイツのソ連侵攻とともに、ソ連との継続戦争が勃発することとなる。
脚注^ First published in English as ⇒Finland ? Union of Soviet Socialist Republics.
^Protocol appended to the treaty of peace concluded between Finland and The Union of Soviet Socialist Republics on 12 March 1940
^ Степаков, Виктор, Евгений Балашов. ⇒В ≪Новых районах≫: Из истории освоения карельского перешейка, 1940?1941, 1944?1950.
^ フィンランド領土割譲、和平協定成る(『東京日日新聞』昭和15年3月14日)『昭和ニュース辞典第7巻 昭和14年-昭和16年』p383-p384 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年

関連項目

タルトゥ条約

休戦期間(英語版)

モスクワ休戦協定:1944年に締結された継続戦争の休戦協定。


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