メートル
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長さの少数単位の提案は、記録された中では1668年イングランド哲学者ジョン・ウィルキンス(英語版)が著作『真性の文字と哲学的言語にむけての試論』提唱した普遍的測定単位 (universal measure) に見られる[39][40]。同年ウィルキンスは、クリストファー・レンが提案したクリスティアーン・ホイヘンスが観察した2の間隔を刻む時の振り子の長さを標準長とする案を受け入れた。その長さは38ラインランド・インチおよび39.25イギリス・インチ (997mm) に相当した[39][40]
名称

1675年イタリア科学者ティト・リビオ・ブラッティーニ(英語版)が著作『Misura Universale』の中で、古代ギリシャ語の「μ?τρον καθολικ?ν(メトロン・カトリコン)」から普遍的測定単位を「metro cattolico」と書き表している。

フランス革命の直後の1790年5月に市民オーギュスト・サヴィニアン・ルブロンが長さの基本単位に対して、「メートル」という新たな名称を初めて提案した。彼はメートルという命名は「ひじょうにうまい表現であり、もともとフランス語だったと言ってもいいほどだ」と言っている[41]。これがフランスで正式に採用され(「metre」)次いで英語の「metre」となった。なお、現代ギリシャ語では μ?τρο(メトロ)という。
子午線長による定義ダンケルク鐘楼。ドランブルが行った測定の北限。バルセロナムンジュイックの丘にある要塞。メシャンが行った測定の南限。

人類がそれぞれの生活圏の中で過ごしている時代にはさして必要が無かったが、大航海時代を経て地球規模の航海交流網が発達すると、長さの単位がまちまちな状態では不都合が多くなった[13]。これに最も熱心に取り組んだのは、既に地球測量の実績を持つ[注 5]フランスだった[13]。「子午線弧#フランス科学アカデミー遠征隊のペルーとラップランドへの派遣」、「フランス科学アカデミーによる測地遠征」、および「トルネ谷#フランスによる一大測地測量事業」も参照

1790年にフランスシャルル=モーリス・ド・タレーラン=ペリゴールが普遍的な物理量基準の必要性を提唱し[42]、これを国民議会が承認して基準づくりへの取組が始まった[43]。当時、長さの標準単位を決める定義には、以下に示す3つの支持を集めた案があった。
北緯45度の緯度にて[44]ウィルキンスの流れを汲んだ.mw-parser-output .frac{white-space:nowrap}.mw-parser-output .frac .num,.mw-parser-output .frac .den{font-size:80%;line-height:0;vertical-align:super}.mw-parser-output .frac .den{vertical-align:sub}.mw-parser-output .sr-only{border:0;clip:rect(0,0,0,0);height:1px;margin:-1px;overflow:hidden;padding:0;position:absolute;width:1px}1⁄2秒の周波数を持つ振り子の長さ(3ピエ8リーニュ1⁄2[45]

地球赤道周長を4千万分の1にした長さ[43]

同じく地球の子午線全周長を4千万分の1にした長さ[43]

この問題はパリ科学学士院で検討され、アントワーヌ・ラヴォアジエジョゼフ=ルイ・ラグランジュジャン=シャルル・ド・ボルダらが議論に加わった[43]。1791年、フランスの科学アカデミーは子午線を基準に置く方法を選択した。その理由は、案1では実際の地球表面とジオイド面との差異によって重力は一定にならないため振り子の振幅は変動する点が問題視され、また案2では上や熱帯気候に当たる赤道での測定は困難と判断されたためである[43]

普遍的に受け入れられる基本的な長さの単位を設定するに当たり、当時知られていた子午線の長さよりも更に正確な測定が求められた。イギリスやアメリカの協力が得られず[43]、フランス科学アカデミーは単独で[43]ジャン=バティスト・ジョゼフ・ドランブルピエール・メシャンを派遣して、1792年から子午線弧長の測定を三角測量[46]行わせた。パリを起点に、北のダンケルクへはドランブル一行が[47]、南のスペインバルセロナへはメシャン一行が[48]それぞれ計測を担当し、緯度差9°3927.81[13]の距離を最新の経緯儀などを携えて測量を開始した。しかし時はフランス革命のさ中にあり、持っていた測定機器から反革命分子のスパイ活動と間違えられたり[47]フランス革命戦争のためメシャンはスペインで足止めされる[48]など幾多の困難に直面した[43]。その間にも政府は、暫定的にニコラ・ルイ・ド・ラカーユの測定値を用いて、新しい単位メートルを「パリを通過する北極点と赤道をつなぐ子午線長の107分の1を定める」という法律を1795年に公布した[49]。測量は、1798年に完遂された[43]

測量から計算された結果、子午線全周の1⁄4に当たる北極点から赤道までの子午線弧長は5130740トワーズという数値が計算された[43]。測定の終了を受けて、1799年にフランスは、これを1千万分の1にした値3ピエ11.296リーニュを1メートルと定めた[43]。これは、1ヤードや2キュービットといった既存の長さ単位を意識して採用された[50]。そして、白金で作られた板状の[50]メートル原器(端度器[51])を製作し、これをフランス国立中央文書館に保管した[43]。これはアルシーヴ原器 (Metre des Archives) と呼ばれた[43]

この新しい長さの単位は、旧来の慣れ親しんだ寸法からすぐには切替わらなかった。フランスは1837年にメートル法以外の単位使用を法律で禁じ[52][注 6]、1851年のロンドン万国博覧会や1867年のパリ万国博覧会などで広報活動を行い、普及に努めた[43]。そのうち、蒸気機関車の発明による鉄道敷設や、実験を重視する科学の発達が統一基準の普及を求め、電気単位への採用などを通じてメートルは広まった[53]1796年から1797年にかけて啓蒙のためにパリの街中に16基設置されたメートル原器 (Metre-etalon)。写真は6区のヴォージラール通り(英語版)36
メートル原器詳細は「メートル法」、「メートル条約」、および「メートル原器」を参照

現実には、地球の地殻表面は単純な正球または楕円球ではなく、標準長を設定する際の絶対的な基準とするには馴染まない[50]。これが地球科学の発展で明らかとなってきた事に加え、ふたたび基準値を観測で得ようとすると、また地球を測るという費用と時間および労力をかけなければならないことから再現性が疑問視された[54]。このため、1869年にアルシーヴ原器そのものが副原器の立場からメートルの基準そのものと変更された[50]

1870年代から、現代的な観点から新しいメートル法の規格を検討する一連の国際会議が開催された。1870年にフランスが主催した第1回国際メートル委員会は普仏戦争の影響で参加国が少なく実効的な決議を得られなかった[54]。1872年には第2回委員会が開かれ[54]、30本の原器を製作することが決まった[55]。これは、アルシーヴの原器を基準に[49]、白金90%とイリジウム10%の合金を用い、融解する温度環境下で原器に刻まれた2本の目盛りの間を1mの基準とする[56]、全長102cm、「X」字型の断面はアンリ・トレスカが考案した形状が採用された[57][51]。しかし、この原器は1875年のメートル条約に基づいた国際度量衡局 (Bureau International des Poids et Mesures, BIPM) 設立(フランスのセーヴル)に間に合わなかった[55][注 7]

1889年、国際度量衡総会 (Conference Generale des Poids et Mesures, CGPM) 第1回大会が開催され、30本のうち最も正確と判断されたNo.6原器を正式な国際メートル原器と認定してこれを保管し、他の原器は国家単位へ配布した[58][注 8]

このオリジナルとなるメートル原器はBIPMによって特別な環境下で1889年まで保存された。しかし、原器は製作当初から精度に対する物理的な限界が指摘され[49]、同時に経時的変化や紛失・焼損のリスク[注 9]が常につきまとった[51]。また、長さの原器となるものについての議論は続き、さらにアメリカ国立標準技術研究所によってメートル原器には製作時の誤差があることが発見された[59]
クリプトン-86スペクトル長による定義

1873年、ジェームズ・クラーク・マクスウェルは著書『電磁気学』にて普遍的で高精度が期待されるの特定波長をメートルの単位にすべきという発想を示した[60]。1893年、メートル原器へ初めての干渉法による計測が、マクスウェルと同じ主張を唱えるアルバート・マイケルソンによって行われた。1925年まで、干渉法はBIPMにて一般的に用いられたが、国際メートル原器は1960年まで長さの基準の地位にあった。しかし、暫定的に 0°C 1気圧乾燥環境におけるカドミウム線の波長 6438.4696×10^?10 m が使われつつ、色々な同位体元素の電磁スペクトルが検討された[51]

そして、1960年の第11回CGPMにて国際単位系によってメートルの定義は、クリプトン-86真空中で発する電磁スペクトルであるオレンジ色‐赤色の発光スペクトルが示す波長の1650763.73倍と等しい長さへと変更された[51][49]。この「0.73」という半端な小数点以下部分は、あくまでメートル原器の長さに波長数を合わせたためである[61]。その後継続してレーザーの安定放出や測定方法の精度向上が図られた[51]が、クリプトンランプを使う実験では再現性の悪さも問題となっていた[49]


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