20世紀に入ると、メンフィスは世界最大の綿花と木材の集散地となった。1950年には、世界最大のラバ市場ともなった。1910年代から1950年代まで、メンフィスはE・H・クランプ市長のもとマシーン政治の温床となっていた。クランプ政権下のメンフィスでは、全国的な都市美運動の一環として多様な公共政策が始動し、多くの公園群が作られた。1960年代には、メンフィスは公民権運動の渦中にあった。1968年4月4日には清掃労働者の待遇改善を求めるストライキの応援に訪れていたマーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師がロレイン・モーテルで暗殺された。
今日でも綿花や木材の集散地であるとともに近辺の商工業の中心地である。また、航空貨物取扱の最大手であるフェデラル・エクスプレスの本社がある。 メンフィス市は北緯35度7分3秒、西経89度58分16秒(35.117365, -89.971068)[2]に位置している。アメリカ合衆国統計局によると、この都市は総面積763.4km2(294.8mi2)である。このうち723.4km2(279.3mi2)が陸地で40.0km2(15.4mi2)が水面である。総面積の5.24%が水面となっている。 主要な公園にはトム・リー公園、オーデュボン公園、オヴァートン公園およびメンフィス植物園が含まれる。 メンフィス市はテネシー州、ミシシッピ州およびアーカンソー州の一部を含む大都市地域の第一の都市である。メンフィス大都市圏は2000年の国勢調査 2000年現在の国勢調査[3]で、この都市は人口650,100人、250,721世帯および158,455家族が暮らしている。人口密度は898.6/km2(2,327.4/mi2)である。375.4/km2(972.2/mi2)の平均的な密度に271,552軒の住宅が建っている。この都市の人種的な構成は白人34.41%、アフリカ系アメリカ人61.41%、先住民0.19%、アジア系1.46%、太平洋諸島系0.04%、その他の人種1.45%および混血1.04%である。人口の2.97%はヒスパニックまたはラティーノである。 250,721世帯のうち、31.3%が18歳未満の子供と一緒に生活しており、34.1%は夫婦で生活している。23.8%は未婚の女性が世帯主であり、36.8%は結婚していない。30.5%は1人以上の独身の居住者が住んでおり、8.9%は65歳以上で独身である。1世帯の平均人数は2.52人であり、結婚している家庭の場合は3.18人である。 この都市内の住民は27.9%が18歳未満の未成年、18歳以上24歳以下が10.8%、25歳以上44歳以下が30.7%、45歳以上64歳以下が19.7%および65歳以上が10.9%にわたっている。中央値年齢は32歳である。女性100人ごとに対して男性は89.8人である。18歳以上の女性100人ごとに対して男性は84.9人である。 この都市の世帯ごとの平均的な収入は32,285米ドルであり、家族ごとの平均的な収入は37,767米ドルである。男性は31,236米ドルに対して女性は25,183米ドルの平均的な収入がある。この都市の一人当たりの収入(per capita income 犯罪率は高く、2012年に発表されたFBIの統計では、2011年の殺人件数は117件、1000人当たりの暴力的な犯罪の発生件数は15.8件で全米5位、暴力犯罪率、殺人件数ともに前年より増加している[4]。 メンフィスの警察は、街頭犯罪対策作戦部隊(略称スコーピオン)を編成して治安の維持にあたっていたが、2023年1月7日、交通違反の取り締まりの最中、隊員に逮捕された黒人男性が3日後に死亡した事件(タイリー・ニコルズの死)が発生。同月28日、部隊は解散した[5]。 毎年4月にはダウンタウンにて「Africa in April Cultural Awareness Festival 」(略してAfrica in April )が行なわれる。African diaspora メンフィスはメンフィス・ソウル、ブルース、ゴスペル、ロックンロール、南部ラップ、カントリー・ミュージック、ブルーグラスなどアメリカの様々な音楽ジャンルが発展した地である。音楽産業が盛んで、エルヴィス・プレスリー、マディ・ウォーターズ、ロバート・ジョンソン、B.B.キング、ハウリン・ウルフ、アイザック・ヘイズ、ブッカー・T・ジョーンズ、ボビー・ブルー・ブランド、カーラ・トーマス、アル・グリーンらを世に送り出してきた。 歴史的なビール・ストリートでは、特に第二次世界大戦後にエレキギターが流行すると、メンフィスはアメリカン・ブルースで有名になっていった。アメリカのポピュラー音楽に多大な影響を与えたサム・フィリップスのサン・スタジオは現在も建物が残っており、見学することができる。エルヴィス・プレスリー、ジョニー・キャッシュ、ジェリー・リー・ルイス、カール・パーキンス、ロイ・オービソンはフィリップスに見いだされ、ここで初めてのレコーディングを行なった。W・C・ハンディは、ブルースを楽譜に起こしただけだった。また、多くの著名なブルース・アーティストは、ここでレコーディングを行なった。 1960年代、スタックス・レコードは、ベースや管楽器を主体とする無骨なソウルミュージックを作り出した。このレーベルのバック・バンドであったブッカー・T&ザ・MG'sはサム&デイヴ、オーティス・レディング、ウィルソン・ピケットなどによる多くのヒット曲を生み出した[7]。多くのミュージシャンが本人役で出演しているブルース・ブラザースの映画の中で、スタックス・サウンドを聴くことができる。他にハイ・レコードやゴイールド・ワックス・レコードも、メンフィスを拠点としたレーベルである。グレイスランド メンフィスはエルヴィス・プレスリーが両親と共に移り住んだ町である。プレスリーの邸宅「グレイスランド」は一般公開されている。また、チャック・ベリーが当地を歌った曲「メンフィス・テネシー」も有名である。スタックス・レコードやハイ・レコード、ゴールドワックス・レコードなど、60年代と70年代のソウル・ミュージック黄金時代を支えたレーベルがメンフィスを本拠地としていた。
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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