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やノートページでの議論にご協力ください。メンザレ号遭難事件(メンザレごうそうなんじけん)とは、1887年(明治20年)6月にフランスの郵便船(Dispatch boat)が清の上海沖で沈没した事件である[2]。 フランスの郵便船であるメンザレ号が清の上海沖で遭難・沈没した事件である[3]。なお、これをジョルジュ・ビゴー[注釈 1]が風刺した絵が、長らく「ノルマントン号事件」とされてきた、「メンザレ号の救助」であった[1]。なお、この絵で船に乗り救助してる男性はイギリス人ドレーク(ドレイク)船長であり[5]、ビゴーは前年の「ノルマントン号」乗組員を皮肉り題名を変えたのか[6]、イギリスを擁護しようとして変えたのかは未だに不明である[注釈 2]。なお、1879年にはイギリスはハートレー事件を起こしており、ビゴーはそれと関連付けて描いていないとは一概に言えない。
概要
脚注[脚注の使い方]
注釈^ ビゴーはフランス人であり、条約改正時期尚早派であった [4]。
^ イギリスは1986年10月24日にイギリス貨物船のノルマントン号事件がこの1年前に起き、明らかに不平等条約による人権否定を肯定していた。
出典^ a b 鈴木英夫 2017, p. 252.
^ 農商務省 1888, p. 1.
^ Sae Takeuchi 2010, p. 14.
^ 須藤直人 2022, pp. 169?170.
^ 浮世博史 2013, p. 75.
^ 鈴木英夫 2017, p. 253.
関連項目
ハートレー事件 - 1879年イギリス人ハートレーによるアヘン密輸事件。