メロドラマ
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〈被害者意識〉が軸の物語

メロドラマ映画は現代の社会風俗を克明に描く一方で、登場人物は製作者や観客のジェンダー像・社会観を体現する存在でもあるため、映画研究において重要な研究対象となってきた[7]

サークで頂点に達するアメリカのメロドラマ映画は「被害者意識・犠牲者の立場 (victimhood)」に焦点を合わせている点に大きな特徴があると言われている[12]。登場人物が何かの障害にぶつかり、それを超えられずにもがく姿を軸に物語が展開するのである。そうした障害は経済格差や封建的な偏見など社会全体の圧力として表現され、解決策もさまざまな理由で封じられるため、登場人物たちは壁の前でただ苦しみつづける[13]。こうした状況下の心の動きを映像で表現しようとする過程で、ハリウッド映画はさまざまな表現手法を獲得することになった[12]

アメリカ映画では現在でもさかんにメロドラマ作品が作られているほか、映画監督のトッド・ヘインズがダグラス・サークのメロドラマ作品群を詳細に分析、カメラワークや構図を意図的に模倣した『エデンより彼方に』(2002) を製作するなど、メロドラマ映画は新たな創作の着想源でありつづけている[14]
代表的なメロドラマ映画

「メロドラマ」は学術的な定義がさだまった用語ではなく、何をメロドラマに数えるか論者によって意見が分かれているが、一般にメロドラマの代表作とされる作品には以下のようなものがある[15]

題名原題監督名公開年
嵐が丘Withering Heightsウィリアム・ワイラー1939
風と共に去りぬGone With The Windヴィクター・フレミング1939
哀愁Waterloo Bridgeマーヴィン・ルロイ1939
若草の頃Meet Me in St. Louisヴィンセント・ミネリ1944
逢びきBrief encounterデヴィッド・リーン1945
悲しみは空の彼方にImitation of Lifeダグラス・サーク1959
マディソン郡の橋The Bridges of Madison Countyクリント・イーストウッド1995
私の秘密の花The Flower of My Secretペドロ・アルモドバル1995
ブロークバック・マウンテンBrokeback Mountainアン・リー2005



クラシック音楽におけるメロドラマ
概要

歌唱ではなく、台詞や詩の語りに背景音楽を付けたものを指す。1770年にルソーの『ピグマリオン』が上演されたのち、ゲオルク・ベンダの『アリアドネ』(1775年)など、ドイツ語圏においても流行した[16]。音楽作品のジャンルとしての「メロドラマ」には「扇情的だがドラマの中身が薄い」という意味合いは全くない[要出典]。
歴史

「メロドラマ」はもともと音楽つき朗読劇のひとつで、台詞と音楽演奏を交互に進行させたり、まれには背景音楽を流し続けながら台詞を朗読するような形で上演されていた。登場人物が一人の場合はモノドラマ、二人の場合はデュオドラマとも呼ばれた[17]。音楽作品の場合には、映画や演劇のようにご都合主義・通俗的といった蔑称としての意味はしだいに薄れてゆき、単に音楽を取り入れた上演手法を指すようになった[17]ベートーヴェン『フィデリオ』がパリで上演されたさいの挿画。この作品は「メロドラマ」の代表例とされる。

上述のとおり最初のメロドラマの例は、ジャン=ジャック・ルソーが台本を書いた『ピグマリオン』で、1770年にリヨンで初演されている[18]。この作品は大きな評判を集め、ウィーンやワイマールで台本のドイツ語訳に加え、音楽を書き直してドイツ各地で上演された[17]

このとき音楽の改変を担当した作曲家のゲオルク・ベンダは後にメロドラマ作家として有名になり、『ナクソス島のアリアドネ』(1775) や『メデア』(1775) などがとくに好評を博した[19]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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