メル・ブルックス
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1967年に『プロデューサーズ』で映画監督デビューし、第41回アカデミー賞1969年)で脚本賞を受賞。以降、『ブレージングサドル』(1974年)、『ヤング・フランケンシュタイン[4]1974年)、『メル・ブルックス/新サイコ[5]1977年)、『スペースボール[6]1987年)などの作品を脚本・監督し、ハリウッドコメディ映画界パロディ映画界を象徴する存在となった。

映画監督としてコメディパロディ映画を専門とするが、「プロデューサー」としては『エレファント・マン』、『女優フランシス』、『ザ・フライ』などのシリアスな作品も手がけている。ただしシリアスな作品の製作は匿名(クレジットなし)で行っており、その理由は「自分の名前がクレジットされるとコメディと誤解されるから」とのこと。

2001年には自身の監督デビュー作『プロデューサーズ』を同名のミュージカルに仕立て、ブロードウェイで歴史的な大ヒットとなる(2007年4月22日閉幕)。2005年、さらにミュージカル版を映画化した『プロデューサーズ』がネイサン・レインマシュー・ブロデリック主演で公開された。

アメリカ合衆国の文化や芸能に対する長年の貢献が称えられ、2009年ケネディ・センター名誉賞を受賞。2010年にはハリウッド・ウォーク・オブ・フェームの星となり、2012年にはデヴィッド・リンチとともにAFI名誉博士号を授与される。2013年にはAFI生涯功労賞を受賞し、2024年には第96回アカデミー名誉賞が授与された[7][8][9]
作風

ユダヤ系アメリカ人であり、デビュー以来、一貫してナチスアドルフ・ヒトラーを取り上げた作品を製作している。中でもヒトラーの物真似はブルックス自身の十八番で、NBCのコメディ番組『Peeping Times』(1978年)、映画『メル・ブルックスの大脱走』(1983年)、同作公開に合わせて製作されたミュージック・ビデオ『To Be Or Not To Be』(1983年)などでヒトラーを演じている。一連のナチスネタは強烈な風刺精神に基づくもので、「世界中でヒトラーを笑い飛ばすことは、私の生涯の仕事の一つになっている」と語っている[10]

歴史的評価

アカデミー賞エミー賞グラミー賞トニー賞の4賞すべてを受賞したことがある数少ない人物の一人である。

AFIが「AFIアメリカ映画100年シリーズ」の一環として2000年に選出した「アメリカ喜劇映画ベスト100」では、3本の監督作品がランクインしている[11]

ブレージングサドル』(1974年):第6位

プロデューサーズ』(1967年):第11位

ヤング・フランケンシュタイン』(1974年):第13位


私生活

1951年ブロードウェイダンサーのフローレンス・バウムと結婚し3人の子供を儲けたが、1961年に離婚。1964年女優アン・バンクロフトと再婚した(2005年に死別)。

アン・バンクロフトとの間に生まれた息子のマックス・ブルックスは『WORLD WAR Z』などの著作で知られる小説家、脚本家である。


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