映画監督としてコメディやパロディ映画を専門とするが、「プロデューサー」としては『エレファント・マン』、『女優フランシス』、『ザ・フライ』などのシリアスな作品も手がけている。ただしシリアスな作品の製作は匿名(クレジットなし)で行っており、その理由は「自分の名前がクレジットされるとコメディと誤解されるから」とのこと。
2001年には自身の監督デビュー作『プロデューサーズ』を同名のミュージカルに仕立て、ブロードウェイで歴史的な大ヒットとなる(2007年4月22日閉幕)。2005年、さらにミュージカル版を映画化した『プロデューサーズ』がネイサン・レイン、マシュー・ブロデリック主演で公開された。
アメリカ合衆国の文化や芸能に対する長年の貢献が称えられ、2009年、ケネディ・センター名誉賞を受賞。2010年にはハリウッド・ウォーク・オブ・フェームの星となり、2012年にはデヴィッド・リンチとともにAFI名誉博士号を授与される。2013年にはAFI生涯功労賞を受賞し、2024年には第96回アカデミー名誉賞が授与された[7][8][9]。 1951年にブロードウェイダンサーのフローレンス・バウムと結婚し3人の子供を儲けたが、1961年に離婚。1964年に女優のアン・バンクロフトと再婚した(2005年に死別)。 アン・バンクロフトとの間に生まれた息子のマックス・ブルックス
作風
ユダヤ系アメリカ人であり、デビュー以来、一貫してナチスやアドルフ・ヒトラーを取り上げた作品を製作している。中でもヒトラーの物真似はブルックス自身の十八番で、NBCのコメディ番組『Peeping Times』(1978年)、映画『メル・ブルックスの大脱走』(1983年)、同作公開に合わせて製作されたミュージック・ビデオ『To Be Or Not To Be』(1983年)などでヒトラーを演じている。一連のナチスネタは強烈な風刺精神に基づくもので、「世界中でヒトラーを笑い飛ばすことは、私の生涯の仕事の一つになっている」と語っている[10]。
歴史的評価
アカデミー賞、エミー賞、グラミー賞、トニー賞の4賞すべてを受賞したことがある数少ない人物の一人である。
AFIが「AFIアメリカ映画100年シリーズ」の一環として2000年に選出した「アメリカ喜劇映画ベスト100」では、3本の監督作品がランクインしている[11]。
『ブレージングサドル』(1974年):第6位
『プロデューサーズ』(1967年):第11位
『ヤング・フランケンシュタイン』(1974年):第13位
私生活