メルブ遺跡
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モンゴルの征服後、メルヴはイルハン朝の領土に含まれ、常にチャガタイ・ハン国から略奪を受けていた。14世紀初頭、イルハン朝の従属国であるクルト朝がメルヴを統治し、町には東方教会の大主教座が置かれていた。1380年までにメルヴはティムール朝の支配下に入る。[6]ティムールの四男シャー・ルフは父からホラーサーン地方の統治を命じられ、シャー・ルフによってメルヴの復興が進められた。[7]
ウズベク人の進出

1505年にメルヴはウズベク人の王朝であるシャイバーニー朝の占領下に入る。1510年にイランのサファヴィー朝の創始者であるイスマーイール1世とシャイバーニー朝の君主ムハンマド・シャイバーニー・ハンがメルヴで交戦し、イスマーイール1世が勝利を収めた。サファヴィー朝の下でムルガブ川に設けられた巨大なダム(「ソルタン・ベント」)が修復され、灌漑地帯にバイラマリーの元になる集落が発展した。

イスマーイール1世の死後、メルヴはヒヴァ・ハン国の支配下に入るが、1593年ブハラ・ハン国アブドゥッラーフ2世に征服された。[8][9]アブドゥッラーフ2世によってメルヴの建築物と灌漑施設の修復が進められ、アブドゥッラー・ハン・ガラなどの建築物が完成した。[7]アブドゥッラーフ2世の支配は長く続かず、メルヴはサファヴィー朝のアッバース1世に占領され、1600年にサファヴィー朝の知事が置かれた。1608年にミフラーブ・ハーン・ガージャールが知事に任命され、2世紀にわたってガージャール族がメルヴの知事職を独占する。[9]1715年以降、ガージャール族のエリート層はメルヴの独立を主張するようになるが、10年も経たず、タタール人とトルクメン人の襲撃によってオアシス地帯の政情は不安定になる。アフシャール朝イランの君主ナーディル・シャーはタタール人とトルクメン人を威嚇するための軍事作戦を開始し、メルヴの灌漑システムを修復した。[9]ナーディル・シャーの死後、メルヴに土着のガージャール族が建てた独立政権が成立した。(en)[8][9][10]18世紀にメルヴを統治したガージャール族の王子バイラム・アリ・ハンは勇名を馳せた人物であり、新たに要塞を増築した。[11]1785年にブハラのマンギト朝のアミールであるシャー・ムラードがメルヴを攻撃し、バイラム・アリ・ハンは戦死する。[9][10]1788年1789年にシャー・ムラードによってメルヴは焼き払われた上にダムは破壊され、一帯は荒れ地と化した。[なぜ?]およそ100,000人のメルヴの住民は段階的にブハラサマルカンドに移され、シャー・ムラードによる苛烈な都市の破壊はチンギス・ハンの破壊に匹敵する規模といわれている。[7]
19世紀

1823年にメルヴはヒヴァ・ハン国の支配下に入る。1832年イギリスの探検家アレクサンダー・バーンズがメルヴを通っており、この時期にテジェン川に住んでいたテケ族(英語版)はイランのガージャール朝によって北方に追いやられた。[12]ヒヴァ・ハン国はテケ族の移動を阻もうとしたが、1856年頃にテケ族はヒヴァ・ハン国の政権を掌握し、1884年ロシア帝国トルクメニスタンのオアシス地帯を占領するまで権力を保ち続けた。

1868年までに、トルクメニスタンを除く西トルキスタンの大部分はロシア帝国の支配下に入っていた。ロシア軍はカスピ海からトルクメニスタンに進出し、1881年ギョクデペの戦いで勝利を収めてトルクメニスタンを征服する。征服の過程でメルヴの占領は無血で達成され、アリハノフという名のロシア軍将校が大きな役割を果たしていた。アリハノフはコーカサス出身のイスラム教徒であり、ロシア軍で少佐に昇進していたが、上官との決闘が原因で降格され、1882年当時の階級は中尉だった。1882年にアリハノフはロシアの商人と偽ってメルヴに入り、貿易協定を締結しするが、その間にロシアの間諜は賄賂と脅迫を織り交ぜて、この地域で親ロシアの党派を拡張していた。1884年、アリハノフは軍服を着用し、すでに降伏していた数人の著名なトルクメン人を伴ってメルヴに入城し、80マイル西のテジェンのオアシスを占領したロシアの軍隊は大軍の先遣隊でしかないと脅迫し、同時に地方の自治は尊重されると説得した。長老たちはイランやイギリスからの支援を受けられないと判断し、降伏を決意した。メルヴを攻略したロシア軍はヘラートに向かい南進し、1888年までにメルヴの町は完全に放棄された。[13][14]
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