メナンドロス_(マケドニアの将軍)
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この時メナンドロスはリュディア太守の地位を失い、後任にはクレイトスが就いた[10][7]。この会議でアンティゴノスはエウメネスをはじめとする旧ペルディッカス派の残党狩りを命じられてアジアの総司令官に任命され、その前後にメナンドロスは彼の下についたようである。

オルキュニアの戦い紀元前320年もしくは紀元前319年)でアンティゴノスに敗れた後、逃走中にエウメネスは輜重隊を率いているメナンドロスを見つけた。もしこの輜重隊を襲って略奪品を手にすれば軍の進軍速度が落ち、迅速な機動ができなくなることを恐れたエウメネスは、あたかもメナンドロスとのかねてからの友誼のゆえであるかのように見せかけて彼に密使を送り、攻めにくい要地へと撤退せよと忠告した。エウメネスの軍がメナンドロスの軍に接近した時にはメナンドロスの軍は難攻不落の要地を占めており、エウメネスは部下に向って失望落胆したふりをした。後日、メナンドロスはエウメネスを賞賛しながらこの事件をアンティゴノスに報告したが、アンティゴノスはエウメネスの目論見を見破り、それはエウメネス自身のためにした行動だと答えたといわれる[11]。その後、アンティゴノスはエウメネスをカッパドキアのノラに封じ込めるのに成功したが、エウメネスがノラを脱出してカッパドキアを出発すると、アンティゴノスによって分遣されたメナンドロスはこれを追跡したものの、エウメネスは逃げおおせてタウロス山脈を渡ってキリキアに入った[12]。これがメナンドロスが言及された最後で、以後は歴史の表舞台から消えた。
^ アッリアノス, III. 6
^ ibid, VII. 23
^ ディオドロス, XVIII. 3
^ クルティウス, X. 10. 2
^ フォティオス, cod. 82, 92
^ ユスティヌス, XIII. 4
^ a b フォティオス, cod. 92
^ ディオドロス, XVIII. 23, 25
^ ibid, XVIII. 36
^ ibid, XVIII. 39
^ プルタルコス, 「エウメネス」, 9
^ ディオドロス, XVIII. 59

参考文献

アッリアノスアレクサンドロス大王東征記』 大牟田章訳、岩波文庫(上下)、2001年

クルティウス・ルフス『アレクサンドロス大王伝』 谷栄一郎・上村健二訳、京都大学学術出版会西洋古典叢書〉、2003年

ディオドロス『アレクサンドロス大王の歴史』 森谷公俊 訳註、河出書房新社、2023年。完訳版

ポンペイウス・トログス / ユスティヌス抄録『地中海世界史』 合阪學訳、京都大学学術出版会〈西洋古典叢書〉、1998年

外部リンク

ディオドロスの『歴史叢書』の英訳版

フォティオスのBibliothecaの英訳

プルタルコスの「エウメネス伝」の英訳プロジェクト・グーテンベルク内)


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