2019年3月現在、メトロは全線1.90ユーロ(約230円)均一(この価額の切符は ticket T+ と称される)。
RERやパリの市内バスはついて、パリ市内に相当するゾーン1内では上記のメトロと共通運賃となる。
メトロとRERのパリ市内、またはバスとトラムは均一運賃で乗換可能。※メトロやRERとバス等は乗換不可。
RERのパリ市外の区間(シャルル・ド・ゴール空港、ヴェルサイユなど)は距離に応じて運賃が設定されている。前述のように、購入した切符の区間を乗り越した場合には、差額を事後に払う日本の精算のような制度がなく、罰金を課せられるので注意が必要。
メトロの一部路線はパリ市外のゾーン3地区へ伸びているが、メトロは全線ゾーン1として扱うため、隣接するRERの駅と運賃が違うことがある(パリ市内?ラ・デファンス区間等)。
なお、車の排ガスで大気汚染がひどい場合はメトロとバスを無料開放することがある[1]。
運行
線区内の途中折り返しはなく、起点から終点まで通して運行。ただし、始発・終電では全線ではなく一部運行の路線がある。分岐している7号線と13号線は2種類の運行区間が存在する。
快速、急行運転はなく、すべての列車は各駅に停車する。12号線のRennes(レンヌ)と13号線のLiege(リエージュ)は長らく夜20時以降と土曜休日は休業するため通過したがRennesは2004年9月6日から、Liegeは2006年12月4日から通常の営業時間に戻されている。工事などで一定期間のみ通過扱いとなる駅がある場合がある。これらは車内の路線図や、駅のポスターなどで告知されている。
始発は朝5時ごろ、最終は深夜1時ごろ。また、週末や祝日には1時間延長運行される。
設備、車輌ゴムタイヤを持つ「MPxx」系の特殊な線路
路線総延長221.6km、駅数292、他線との接続駅55。駅間距離は平均およそ300m。
路線数16(3bisと7bisを独立に数えた場合)。ホームや路線の他線との共有はない。
編成輌数は路線ごとに一定していて、1号線などの最も混雑するところでは6輌。3bis号線などの少ないところでは3輌。
軌間は1435mmの標準軌。車体はフランス国鉄などのものより狭く短い。
右側通行。地上の道路交通に一致させたためで、左側通行の国鉄、RERとは逆になっている。
電気方式は第三軌条方式、直流750V。
主にアルストム社が製造しているが、その後同社のブランド『アルストム・メトロポリス』の派生型(テーラーメード型)シリーズとして分類され、同タイプのものがスイス、チリにも展開している[2]。
1号線、4号線、6号線、11号線、14号線は鉄車輪の外側にゴムタイヤをもつ「MPxx」系が、他は通常の鉄車輪の「MFxx」系が運用されている。
車両のドアについて、到着時に全車両のドアが一斉に開く方式も増加しているが、乗客がレバーやボタンでドアを操作する半自動ドア式の車両も多い。いずれも発車時には自動で閉まる。
開業当初からホームドアが設置されていた14号線に加えて、1号線の各駅にもホームドアが設置され、さらに設置工事が進んでいる。
ゴムタイヤをもつ「MPxx」系「MPxx」系の特徴的なゴムタイヤ付台車「MPxx」系車両の断面模型
「MPxx」系で特徴的なのは、軌道面に一般的な鉄道にみられる2本の金属レールがありながらそれに並んで外側にゴムタイヤ用の専用走路と案内軌条が敷設され、車体の台車には、金属車輪の同軸外側にゴムタイヤの車輪と、四隅にも小径のゴムタイヤ案内輪が備わっている点である。またゴムタイヤには空気ではなく、温度による体積変化の少ない窒素ガスが封入されている。
一般的な鉄道と異なり、台車内側の金属車輪と軌道の金属レールは、列車の進路を誘導させる案内軌条の役割を主として持っている。
そして金属車輪の外側同軸にあるゴムタイヤ車輪が、走行のための駆動・停止と主な車体加重を受け止める役割を担っている(このゴムタイヤ車輪は、金属車輪の案内軌条レール外側に並んで水平に設置された、主輪のゴムタイヤのための金属製専用走路部分に接地している)。またこの車体台車の四隅にも水平に回転するよう取り付けられた小径のゴムタイヤ車輪があり、軌道両側の最外縁に垂直に設置された両サイドの案内軌条に接して車体の走行に伴い回転していることで、補助の案内装置として働いている。
金属車輪とゴムタイヤの併用により騒音と制動距離の低減と、乗り心地や勾配能力と発進加速性能の向上が見込まれ、主輪のゴムタイヤがパンクした場合でもある程度の走行が可能で、また構造上非常に脱線しにくい。なおこの地下鉄システムは、フランスから技術供与されたメキシコシティ地下鉄でも見る事が出来る。日本では岐阜ゴルフカントリー谷汲のカートがこの方式を採用している。[3] メトロは最初2つの会社によって運営されていた。現在の1、2、6号線を核として運営していたCMP(Compagnie du chemin de fer metropolitain de Paris、パリ都市鉄道会社・現在の RATP の前身)とは別に、南北を結ぶ二つの路線、現在の13号線の北半分と12号線を営業する Societe du chemin de fer electrique souterrain Nord-Sud de Paris(パリ北南地下電気鉄道会社=以下、北南線)という会社があった。北南線時代は12、13号線はそれぞれA、Bと呼ばれていた。これらの駅構内はCMPの駅と似てはいるものの、異なるデザインが採用された。北南線の名残は今でも12、13号線の駅構内の広告枠のタイルの一部にそのロゴが残っている。また駅の入り口のデザインでも見分けることが出来る。 北南線の2つの路線は架線(架空電車線)を用いていたが、後に CMP と同じく第三軌条に改修された。また、旧14号線も南北線が工事を始めた路線でCと呼ばれた(CMPに合並されてから開通された)。 第一次世界大戦では、営業削減のほか、敵対するドイツを連想させる一部の駅名が変更になった。すなわちベルリンBerlinはリエージュLiegeに、リュ=ダルマーニュ Rue d'Allemagne(ドイツ通り)はジョレスJaures(フランスの政治家の名)になった。しかし営業を停止した駅はなかった。 第二次世界大戦では大幅に営業の削減が行われた。営業削減はフランスがドイツの宣戦布告を受ける1939年9月4日の2日前、9月2日より開始された。この時いくつかの駅が営業を停止したが、そのうち Saint Martin, Arsenale, Croix Rouge, Champ de Mars の4駅は、現在に至るまで廃駅となっている。 パリがナチス・ドイツに占領されてからは、11号線が営業を停止し、その駅構内は軍需工場として使われた。 メトロは1等車が存在したが、1991年に廃止された。それに伴い車掌も廃止となった。1等車への乗車を管理する駅員用の小屋がホーム内にあったが、これも廃止となり、現在は撤去されているかあるいは電気系統の設備として使われている。一部の駅ではこの小屋跡をショーディスプレイとして用いている。 カッコ内の数字は路線の番号。
歴史と経緯開業時期別に色分けした路線図(1900年から1949年)1900年-1910年、1910年-1914年、1914年-1930年、1930年-1939年、1939年-1949年北南線のマーク
北南線
戦争の影響
1等車と車掌の廃止
廃駅
完全に通過する廃駅
アルスナル Arsenal (5)
サン・マルタン Saint Martin (8,9)
シャン・ド・マルス Champ de Mars (8)
クロワ・ルージュ Croix Rouge (10)
アルスナル駅入口跡
サン・マルタン駅跡
クロワ・ルージュ駅跡
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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