メトロポリス_(1927年の映画)
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1924年のクリスマス間近、ラングは初めて見たアメリカの巨大都市ニューヨークの圧倒的な印象に影響を受け帰国し、なんとか映画化したいと相談すると、妻のテア・フォン・ハルボウも熱狂しシナリオを完成させた。ただし、完成したシナリオはラングの構想した物とは若干異なる物だったが(ラングは労働者の勝利による結末を考えていた)、興行的な面などを考え受け入れたという。後年のラングの回想によると、楽観的な結末になったのは当時台頭し始めたナチス・ドイツに妻が傾倒していた影響があったと語っている。ちなみにこの思想的な食い違いにより、後に二人は離婚、さらにラングはアメリカに亡命することとなる。
撮影

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ラングについて書かれた伝記によれば、『メトロポリス』の撮影は1925年5月22日に始まり、1926年10月30日に終了。公開当初は2部に分け3時間半ずつ上映されたと記されている。

バベルの塔のシーンでは当初6,000人のエキストラを雇おうとしたが、予算の問題で1,500人に変更された。ラングは150人の理容師を雇い全員の頭を剃り、カメラの前を何回も行進させ、特殊撮影により数千人も動いているように見せることに成功した(この作品の特撮を担当した開発者にちなんで「シュフタン・システム」と呼ばれる)。

劇中の高層ビルが林立するメトロポリスや、上流子弟の遊技場はミニチュアセットを鏡に映し撮影した物である。遊技場の大きさはわずか30センチメートルしか無かった。

主演俳優の他に端役は750人、エキストラの男性は25,000人、女性11,000人、子供750人、黒人100人、中国人25人、支払った報酬は当時の金額で160万マルクである。また、衣装代が200万マルク、靴3500足、カツラ75個、特注の自動車50台、映画のために使ったフィルムは62万メートルで、ポジ・フィルムは130万メートル使ったとされる。費用の総額は最低500万マルクから最高1300万マルクと文献により異なる。
美術

このアンドロイドの機械形態の色は本編はモノクロなので光沢がある明るい色という程度しか判らず、イラストやレプリカなどでは全身金色のプレートアーマー状に描かれることが多いが、小説版では外見について「銀色の骨格にクリスタルガラスのような外皮がかぶさっている」という趣旨の記述がある[2]。なお、このアンドロイドの名前を「マリア」(アンドロイド・マリア)とするものが時々見られるが、あくまでも「マリアに似せたアンドロイド」で、本編中特に個体名は呼ばれていない。しいて言うなら「パロディ[3]」。 有名なポスター・デザインはハインツ・シュルツ=ノイダム(Heinz Schulz-Neudamm, 1899年-1969年)が担当した。
SF的アイテムと設定アンドロイド・マリアのレプリカ

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人造人間(英語版)
高度に発達した機械工学エレクトロニクス技術により、いずれ人間とそっくり同じ動きをする自動人形のようなものが作られるであろうことは当時としても予測されていた。アメリカのパルプ・マガジンに掲載される漫画や小説などには既に登場していた。しかし、それを「動く映像」という情報ではっきりと見せたのは本作品が最初である。中にスタントマンが入って動かす、いわゆる「着ぐるみ」方式で表現されている。これほどまでに精巧な人造人間を産み出す未来社会を予測する一方、現在でいう「産業用ロボット」の出現は予測されておらず、劇中では産業革命当時さながらの状態で大勢の工員たちが汗まみれになって長時間労働を強いられるという、偏った社会が設定されている。
テレビ電話
従来の電話機に映像の同時送受信機能を追加した通信機器。当時は機械式テレビが生まれて2年もたっておらず(イギリスのベアードが1925年に成功した)「テレビジョン」というもの自体が実現されたばかりであった。しかし、この映像送受信のシステムは劇中では通信に利用されるだけで、「娯楽放送」という形で登場することは無い。地上の都市で生活する支配階級の娯楽はスポーツ観戦や音楽鑑賞、ダンス鑑賞など、映画公開当時の娯楽と大差の無い設定だった。
公開と修復ブラジル の宣伝(1930年).

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1926年に完成したオリジナル作品は大長編映画だが、完成後すぐアメリカのパラマウント映画に持ち込まれ、興行的な理由と「共産主義的な傾向を本質的に持っている字幕があった」という政治的な理由により、ラングの許諾無しに徹底的にカットされ、継ぎはぎの編集が為されたコンパクトなアメリカン・バージョンとして公開された。

1927年にオリジナル全長版をプレミア公開したドイツウーファも、結局はアメリカ編集バージョンに追従した。上映回数を増やし利益を上げるためであったが、それでも莫大な制作費を回収することができず、倒産するに至った。そうした混乱のため、上映時間は世界中で様々なバージョンが存在した。

その後、第二次世界大戦の混乱などでオリジナルフィルムは世界各地に散らばり、フィルムが現存するかどうかも定かではないためオリジナルの完全版を観ることは不可能とされた。

1984年には、ジョルジオ・モロダーのプロデュースによる再編集版が世界各地で公開された(後述)。


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