メディアミックス
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歴史
日本でのメディアミックス

日本では、1973年小松左京の小説『日本沈没』の刊行直後から間髪を入れずに映画、ラジオドラマ、テレビドラマ等様々な形態で相次いで制作され、それらが相乗効果を生んでベストセラーとなったケースが大規模メディアミックスの嚆矢といえるが、代表的な成功例として挙げられるのは、その後角川書店が1970年代後半に自社発行書籍(小説作品)の映画化を行い、その原作作品を映画イメージと連動させた新装カバーを付けて売り込み業績を伸ばしたことで「メディアミックス」という言葉と共に注目された広告手法である[4]。これらの手法は当時、角川商法などと呼ばれたが[4]、角川は出版という宣伝メディアを持っていたため[5]、大規模な広告展開が出来た[4][5]。現在でも角川書店とその関連会社(アスキー・メディアワークス富士見書房など)は「日本のメディアミックス商業展開の元祖的存在」として取り上げられることが多い[4]。ただし、自社の書籍を映画化するという手法は徳間書店がそれよりも早く試みており、こちらを元祖だとする見方もある。

メディアミックスのような事例は日本でも昔からあり、例えば『月形半平太』などの作者行友李風が小説「修羅八荒」を大正14年(1925年)10月27日から、大正15年(1926年)8月12日まで大阪東京朝日新聞で250回連載したが[6]、連載終了前に松竹蒲田日活マキノ映画が参戦した三社による映画の競作が行われ[6]、さらにラジオ劇レコード化浪曲化舞台劇にも連載終了前に波及した[6]昭和3年(1928年)から昭和4年(1929年)には文学者の菊池寛が、自作の小説『東京行進曲』を、溝口健二監督で29年に映画化(映画自体は興行的に失敗)し、舞台化と主題歌のレコード化を共にヒットさせた[7]。大正から昭和の戦前期はこうしたケースも珍しくなかったといわれる[6]。 

1970年代前半には、当時の岡田茂東映社長が、日本映画の将来の見通しが暗かったことから[8]、経営多角化の一つとして[9]、1973年に出版事業に乗り出し[10]黒崎出版と提携して『テレビランド』を創刊したり[10]徳間書店社長・徳間康快と組んで『アサヒ芸能』と原作を連動させ、映画『山口組三代目』を製作したり[11]成人向け劇画雑誌コミック&コミック』を創刊したことがあり[10][12][13]、この『コミック&コミック』で岡田と徳間が構想した目玉企画が、東映の映画監督が原作を担当した劇画作品を雑誌に連載した後、映画化するというもので[12][13][14]、この雑誌で連載された鈴木則文監督の『聖獣学園』が映画化された[13][14]


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