メッカの文化は毎年到着する多くの巡礼者の影響を受け、非常に豊かなものとなっている。地元で話される言語はアラビア語のヒジャーズ方言であるが、世界各国からの巡礼者によって世界中のあらゆる言語が話されている。古来より世界各地の文化が混交するメッカにおいては、19世紀初頭のパドリ戦争(先述)のように、あらたなイスラームの潮流や新思想などが持ちよられ、持ち帰られた。
メッカでもっとも人気のあるスポーツはサッカーであり、1945年に設立されたサウジアラビアでもっとも古いプロサッカークラブのひとつであるアル・ワフダ・メッカがこの街に本拠を置いている。同チームは3万8,000人が収容できるメッカ最大のスタジアムである[33]キング・アブドゥルアズィーズ・スタジアムをホームとしている。
メッカには多くの学校がある。2005年には、532の公立・私立の男子校と681の公立・私立の女子校がメッカに存在した[34]。メッカには大学が一つだけある。1949年に設立されたウンム・アル=クラー大学は、1979年に公立大学となった。
交通メッカ付近の高速道路にある、イスラム教徒以外入域禁止の看板。非イスラム教徒は次の交差点で右折しなければならない
メッカにはメッカ東空港があるが、旅客サービスをしていないため、空路の場合、ジッダのキング・アブドゥルアズィーズ国際空港が最寄りとなる。同空港にはメッカ巡礼者のみを専門に扱うハッジ・ターミナルがある。
20世紀初頭にヒジャーズ鉄道の延伸計画があったものの、ダマスカスからメディナまで開通した時点で第一次世界大戦が勃発し、延伸計画もヒジャーズ鉄道そのものも廃止を余儀なくされた。巡礼の時期とそれ以外を問わず、メッカ市においては住民にも巡礼客にも一切の公共交通機関は提供されておらず、市内や郊外を回るためには、個人の車かタクシーに頼るより他はなかった。
21世紀に入って、この状況を改善するために全線高架のライトレールであるメッカ・メトロ南線(英語版)の建設が決定され、総工費67億サウジアラビア・リヤルをかけ[35]、2010年11月に中国鉄建が請け負ったメッカ郊外のミナーからムズダリファを通ってアラファートへと向かう18 kmの第1期路線が開通し営業を開始した。メッカ入りのために1,200人の中国人労働者はイスラム教に入信した[36]。この区間は巡礼においてすべての巡礼者が歩む道であり、300万人にものぼる巡礼によって非常に混雑していた区間であった。この計画においては、ライトレールは最終的にメッカ・メトロ(マッカ・メトロ)として5路線を開業する予定である[37]。
また、マディーナからラービク、ジェッダ、キング・アブドゥルアズィーズ国際空港を通ってメッカへと向かう全長444 kmのハラマイン高速鉄道(聖都間高速鉄道計画)も持ち上がり、2009年に着工された[37]。第1期工事はメッカ・メトロと同様に中国鉄建、フランス企業、サウジアラビア企業のコンソーシアム「アル・ラジヒ」が受注した。2014年2月の段階では工事の52%が終了し、2015年の12月末には開通する予定[38]であったが、サウジアラビアは砂漠気候のため砂によって工事が滞り、2018年10月11日開業した。車両はスペインのタルゴ方式を採用する。
この両聖都間は巡礼期間中は非常に混雑し、渋滞などによって期間中は約18時間もかかっていたのに対し、高速鉄道では2時間30分で両都市間を結ぶ計画であり、大幅な利便性向上が期待されている[39]。 メッカは、常に膨大な数の巡礼が集まっており、何かの理由でパニックが起きた際、将棋倒しによる群集事故が絶えない。1990年以降の大事故のみ数え上げても といったものがある。死者が上記ほど多くない小事故については数え上げることすらできない。 「メッカ」という言葉は、宗教的な意味に限らず、重要な場所、人を引きつける場所、あるいはどっと押し寄せた人々を表す言葉として、用いられるようになっている[41]。似たような比喩に「聖地」という表現がある。 ある一定の目的や意思を持った多数の人が集まる場所を「憧れの地」や「中心」とみなし、イスラム教徒が集まるメッカに例えて「〇〇のメッカ」と慣用することがある[41]。たとえば「苗場はスキーヤーのメッカ」「高校球児のメッカ、甲子園」、あるいは「競艇のメッカ、住之江」などというように使う。テレビ朝日の番組では、生放送で「渋滞のメッカ、六本木」という表現をしたこともある。 ただし、サウジアラビア政府やムスリムは、メッカ自体を『不可侵のイスラム教の聖地』『預言者ムハンマドの生誕地』であるととらえているため、このような比喩や用法を好んでいない[42]。先述のテレビ朝日の番組ではこの後、「渋滞のメッカ・六本木」のことを、不適切な表現だったと謝罪する一幕もあった。 ちなみに現在の日本のテレビ放送では「〇〇のメッカ」は、宗教や宗教用語について配慮し、表現の自主規制のため使用されない[42]。
群集事故
1990年7月2日 - 1,426人死亡
1994年5月23日 - 270人死亡
1998年4月9日 - 119人死亡
2004年1月1日 - 251人死亡
2006年1月12日 - 362人死亡
2015年9月24日 - 2,181人死亡[40] - 2015年メナー群衆事故
比喩表現マスジド・ハラームと周辺に集まる人々
脚注[脚注の使い方]^ ⇒Mecca Municipality
^ Anthony Ham, Martha Brekhus Shams, Andrew Madden (2004). Saudi Arabia
^ Islamic World, p. 13
^ a b "Makka ? The Modern City", Encyclopaedia of Islam
^ "Makka ? The pre-Islamic and early Islamic periods", Encyclopaedia of Islam
^ “ ⇒Mecca Municipality”. Holymakkah.gov.sa. 2010年4月6日閲覧。
^ Kee Hua Chee (2010年12月4日). “Going mega in Mecca”. The Star (Malaysia). ⇒オリジナルの2010年12月6日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20101206063924/http://thestar.com.my/lifestyle/story.asp?file=%2F2010%2F12%2F4%2Flifetravel%2F7478279&sec=lifetravel 2010年12月27日閲覧。
^ ⇒Saudi government demolishes historic Ottoman castle
^ ⇒‘Shame of the House of Saud: Shadows over Mecca’, The Independent, 19 April 2006
^ ⇒'The destruction of Mecca: Saudi hardliners are wiping out their own heritage', The Independent, 6 August 2005, retrieved 17 Jan. 2011