メソロンギ
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メソロンギ・アイトリコのラグーン群(英語版)は1975年にラムサール条約登録地となった[1]
歴史ペラデ

メソロンギの名は、16世紀のヴェネツィア人であるパルタという人物が著した、レパントの海戦について書かれた文章の中で、初めて触れられる。メソロンギという名称は、おそらくイタリア語の2つの単語から来たという説が有力であり、メッツォ(mezzo)とラギ(laghi)で「湖の真ん中」、もしくはメソ(messo)とラギ(laghi)で「湖に囲まれた場所」から来たとされている。1700年まではヴェネツィア共和国がこの地を支配していたからである。当時メソロンギの住民はほとんどが漁師であり、湖底に支柱を立てた上に、防水加工が施されたで作られた、ペラデという小屋に居住していた。

メソロンギの北西には、ホメロスの叙事詩で描かれている都市である、プレウロンの遺跡(現在のアスファコヴニ)がある。プレウロンはトロイ出兵に参加し、紀元前234年にアイトーリアのデメトリオスに破壊された都市であった。かつては30の塔と7つの門を持つ城壁があったが、今でも円形劇場貯水槽の跡などが残存している。
ギリシャ独立戦争メソロンギからの脱出(テオドロス・ヴリザキス、1855年)

1770年のオルロフの反乱では、メソロンギ艦隊は敗北し、町はオスマン帝国に占領された。また、1821年5月20日にはメソロンギがオスマン帝国に反逆し、ギリシャ独立戦争の間、町はギリシャ人反乱軍にとっての主要な要塞となった。1822年にはオスマン帝国軍に町は包囲されたが、守り切ることに成功した。しかし1825年4月15日には、30,000人を率いたレシド・メフメト・パシャと、ムハンマド・アリーの息子で10,000人を率いたイブラヒム・パシャによって2度目の包囲が開始された。1年間の包囲の末、飢餓に直面するようになったために、1826年4月10日夜にメソロンギ市民は包囲された町から脱出することを試みた。その時メソロンギ市民は10,500人であり、その中で装備した者はわずか3,500人であった。しかし計画は密告され、脱出に成功できた者はほとんどいなかった。

ヨーロッパ諸国は1826年の事件の残虐さを非難した。ドラクロワによる『ミソロンギの廃墟に立つギリシア』が描かれたのもこの時である。メソロンギ市民のこの英雄的姿勢と、その後のトルコ・エジプト連合軍によるメソロンギ市民の虐殺を考慮して、後にメソロンギの町は「ヒエラ・ポリス(聖なる町)」という名誉的な称号を授与された。

イギリスの有名な詩人で、親ギリシア的であったジョージ・ゴードン・バイロンは、ギリシャ人反乱軍を支援したが、1824年にメソロンギの地で亡くなった。現在町には、彼の心臓が収められた慰霊碑と、彼の彫像が安置されている。
現代メソロンギ市西部の街並み

メソロンギの町は、街並みが絵のように美しいでけでなく、都市計画がされており都市機能を兼ね備えた、現代的な都市である。一方で、伝統的な建築様式で造られた、興味深い建築物もいくつか残されていて、現代ギリシャ史に関係するような人物も住んでいたことが多い。
著名な出身者

エパミノンダス・デリギオルギス
(1829-1879、ギリシャ王国首相)

コスティス・パラマス(1859-1943、詩人・オリンピック賛歌の作詞者)

ハリラオス・トリクピス(1832-1896、ギリシャ王国首相)

ニコラオス・トリクピス(1869-1956、ギリシャ軍司令官)

スピリドン・トリクピス(1788-1873、ギリシャ王国首相)

ディミトリオス・ヴァルヴィス(1814-1886、ギリシャ王国首相)

ジノヴィオス・ヴァルヴィス(1800-1872、ギリシャ王国首相)

人口推移

年人口(人)増減市人口(人)増減
198111,375---
199110,916-459/-4.04%16,859-
200112,225+1,309/+11.99%17,988+1,129/+6.70%

姉妹都市

- シェーフリスドルフ(en)、スイス

交通

1960年代にはメソロンギ市内を通る国道5号線(欧州自動車道路E55号線)が建設された。かつては、アグリニオとを結ぶ鉄道の駅が町にあったが、1970年代に廃止された。
脚注^ “Messolonghi lagoons 。Ramsar Sites Information Service”. rsis.ramsar.org (1998年1月1日). 2023年3月31日閲覧。

参考

Δε?τε τη Διοικητικ? Δια?ρεση (ギリシア語)(2009年9月9日閲覧。)

外部リンク.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ウィキメディア・コモンズには、メソロンギに関連するカテゴリがあります。

メソロンギ市公式HP (ギリシア語)

The Acheloos delta forms the Messolongi Lagoon

Messolonghi lagoons 。Ramsar Sites Information Service

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2


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