ポルトガルは輸出の安定によって輸出入のバランスを調整することが可能になり、地主たちはワインの生産に専念することができた[2]。条約の締結によってポルトガルはワイン輸出国の地位を確立し[5]、1720年代以降ポートワインをはじめとするワインの生産量が急激に増加する[1]。ワイン交易産業の成長は18世紀末まで続いた[5]。また、イギリス産の毛織物の輸入が認められた後も、ポルトガルの民衆は安価な国産の繊維製品を愛用し続けた[1]。
イギリスの経済学者アダム・スミスはポルトガル側に一方的に有利な協定だと批判したが、ポルトガルがオランダ、フランスの繊維製品の輸入を解禁した後も、それらの国の製品に比べて安価なイギリス製品はポルトガルの市場でなお優位に立っていた[1]。さらにイギリスはポルトガルの市場に足がかりを得ただけでなく、ポルトガル本国を通して大西洋のポルトガル植民地にも販路を拡大することに成功した[2]。
脚注^ a b c d e f g h 金七『ポルトガル史』増補版、134-137頁
^ a b c d e f バーミンガム『ポルトガルの歴史』、91-94頁
^ a b 金七『図説 ポルトガルの歴史』、78頁
^ 合田「海洋帝国の時代」『スペイン・ポルトガル史』、401頁
^ a b マルケス『ポルトガル』2、95頁
参考文献
金七紀男『ポルトガル史』増補版(彩流社、2003年4月)
金七紀男『図説 ポルトガルの歴史』(ふくろうの本, 河出書房新社, 2011年5月)
合田昌史「海洋帝国の時代」『スペイン・ポルトガル史』収録(立石博高編、新版世界各国史、山川出版社、2000年6月)
デビッド・バーミンガム『ポルトガルの歴史』(ケンブリッジ版世界各国史, 創土社, 2002年4月)
A.H.デ・オリヴェイラ・マルケス『ポルトガル』2(金七紀男訳、世界の教科書=歴史、ほるぷ出版、1981年11月)