メキシコ
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特に輸出ではメキシコの輸出額の83.3%[11]と大きな割合を占めており、経済面ではメキシコの最大のパートナーである。

しかし、政治面では友好的であると言い難い状況にある。特に近年においては、アメリカのトランプ政権における「国境の壁建設問題」などで両国の関係が悪化した。これはメキシコでのアメリカに対する意識調査で明らかであり、トランプ大統領在任時の2017年に実施された調査では、65%のメキシコ人がアメリカに対して否定的な見方を示し、肯定的な見方をしているのはわずか30%であった[12]

バイデン政権においては、メキシコはアメリカにとって民主主義国家としてのパートナーという見方が強く、2021年に開催された民主主義サミットにおいてもメキシコは招待を受け、参加した。しかし、2022年にロサンゼルスで開催された米州首脳会議では、メキシコは参加を見送った。理由としてバイデン政権が民主主義の欠如などを理由にキューバなど3カ国の招待を行わなかったことから、「米州機構加盟国の全ての国が招待されなければ、出席を見送る」という考えをロペスオブラドール大統領が示したためである[13]
エクアドルとの関係

グラス元副大統領との関係がこじれたため、2024年4月6日で国交を断絶した[14]
日本との関係詳細は「日墨関係」を参照

江戸時代の初めの1609年慶長14年)、フィリピン総督ドン・ロドリゴの一行がマニラからの帰途に、大暴風のため房総御宿海岸に座礁難破した。地元の漁民達に助けられ、時の大多喜藩本多忠朝がこれら一行を歓待し、徳川家康が用意した帆船で送還したことから、日本との交流が始まった。

1613年(慶長18年)に仙台藩伊達政宗の命を受けた支倉常長は、ローマ教皇に謁見すべく当国とスペインを経由しイタリアローマに向かった。支倉常長ら慶長遣欧使節団の乗ったサン・ファン・バウティスタ号は太平洋を横断しアカプルコへ、その後、陸路メキシコシティを経由し大西洋岸のベラクルスからスペインへ至った。メキシコでは大変手厚いもてなしを受け、現在、記念碑や教会フレスコ画などに当時を偲ぶことができる。

また、日本が開国して諸外国と通商条約を結んだ中で、1888年明治21年)締結した日墨修好通商条約は日本にとって事実上初めての平等条約であり[注釈 1]、諸外国の駐日大使館のうちでメキシコ大使館のみ東京都千代田区永田町にあるのは、これに対する謝意の表れとされる。

19世紀末には榎本移民団による移住が始まり、第二次世界大戦後まで続いた。移民者の数は総計1万人あまりに達し、その子孫が現在でも日系メキシコ人として各地に住んでいる。
現在

メキシコシティへの進出は減っているが、メキシコ中央高原都市では日系企業が増えている。日系の自動車3社(日産第二工場、ホンダマツダ)が進出を決めたほか、200社以上が自動車部品工場や大規模倉庫などを建設中である。日本からの投資の90パーセント近くがこの地域に集中しており、一大進出ラッシュとなっている。なかでもアグアスカリエンテスは、1982年から日産の工場が進出したこともあり、大規模な新工場ができつつある。アメリカの平均よりも犯罪発生件数が少なく、真夜中にも多くの飲食店が開いており、日本人の家庭には人気の移動先になってきた。日系企業進出の遠因は、賃金も安く未開発な部分の多い魅力的なフロンティアであること、複雑な外交関係にない親日国であることなどである。犯罪の多いところではあるが、地方都市や州では軍隊や警察組織を駆使して独自の治安維持をしているところもあるので、進出には州単位、町単位での安全チェックが必須である。

2021年10月現在、メキシコへ進出している日系企業は1,272社となっている。これは前年(2020年)の1,300社から減少しているものの、中南米地域では最多の進出数となっている[15]。また同年の在留邦人は11,390人であり、中南米地域ではブラジルに次いで2番目であり、国別邦人数においても21位につけている[16]。日本からの輸出額は138億9700万米ドル、メキシコからの輸出額は36億52万米ドルであり、メキシコからアジア地域の貿易相手国としては中国、韓国に次ぐ規模となっている[17]。日本からの主要な輸出品として輸送機械(鉄道以外)や電気・電子機器などが挙げられる。要因としてメキシコの地理的要因(例として米国・メキシコ・カナダ協定が挙げられる)、人件費の安さ、メキシコ国内におけるサプライヤーの不足がある[18]。メキシコ国外から輸入した部品をメキシコの現地工場で製品を組み立て、国内及び北米向けに販売を行うことで、低コストで生産できる利点から進出する日系企業が多い。
日産自動車の関係

特に、日本企業(現在はフランスルノー傘下)としては最初期の1966年7月に現地工場での自動車生産を開始した日産自動車は、同国日系自動車生産工場としても初ということもあり、関わりも深く、サッカー中継番組でもスポンサーになるほどの深さでもある。日産AD(現地名ツバメ)を生産していた時代は、日本への輸出(いわば逆輸入)も行っていた。ルノー傘下に入ったあとの2009年時点で、販売台数ベースで同国市場最大手である[19]。同社は現在、アメリカとの国境地帯とメキシコシティとの中間点に位置するアグアスカリエンテスや、メキシコシティ郊外のクエルナバカに工場を構えているが、NAFTA発効後は当国のみならずアメリカおよびカナダ向け車種の主要な生産拠点となっており、近隣のチリアルゼンチン、さらにヨーロッパなどにも輸出が行われている。おもな生産車種は「ティーダ(北米ではヴァーサ)」「ツル」「セントラ」「NP300フロンティア」で、日産自動車メキシコシティ事業所(日産メキシカーナS.A de C.V.)が取り扱う車種でもこのほかに「マキシマ」「アルティマ」「370Z(フェアレディZ)」「エクストレイル」「パスファインダー」「アーバン(キャラバン)」「キャブスター(アトラス)」と新たに「リーフ」も販売を開始した。また、ニューヨークのイエローキャブ向け仕様NV200もこの国で生産されている。以前は「サクラ(シルビア)」「サムライ(バイオレット)」「280C(後のセドリック)」も販売していた。さらには、メキシコ連邦警察専用向けとしてY30セドリックセダン(グレード的にはブロアム)をベースとしたセドリックパトロールも納めたほどである。
フィエスタ・メヒカナ
独立記念日の前日の9月15日に、大阪市のメキシコ総領事館の主催で、フィエスタ・メヒカナという祭を領事館の入居している梅田スカイビルのワンダースクエアで開催する。メキシコ政府が国外で行う文化交流としての祭事としての規模は最大のものである。
MIKTA

MIKTA(ミクタ)は、メキシコ(Mexico)、インドネシア(Indonesia)、大韓民国(Korea, Republic of)、トルコ(Turkey)、オーストラリア(Australia)の5か国によるパートナーシップである。
国家安全保障メキシコ軍の装甲兵員輸送車VCR-TT)詳細は「メキシコ軍」を参照

成人男子には1年間の選抜徴兵制が採用されている。現在、大きな対外脅威はなく、おもな敵は国内の麻薬カルテル(メキシコ麻薬戦争)、次いでサパティスタ民族解放軍である。
地理メキシコの地形図詳細は「メキシコの地理(英語版)」を参照オリサバ山ウスマシンタ川


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