メキシコ
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総計1,972,550km213位
水面積率2.5%

人口
総計(2020年1億2893万3000[2]人(10位
人口密度66.3[2]人/km2

GDP(自国通貨表示)
合計(2020年)23兆737億2700万[3]メキシコ・ペソ (ヌエボ・ペソ)

GDP(MER
合計(2020年)1兆739億1500万[3]ドル(16位
1人あたり8403.602[3]ドル

GDP(PPP
合計(2020年)2兆4394億7000万[3]ドル(11位
1人あたり1万9089.335[3]ドル

独立
 - 宣言
 - 承認スペインより
1810年9月16日
1821年9月27日
通貨メキシコ・ペソ (ヌエボ・ペソ)(MXN
時間帯UTC-5 から -8 (DST:-5 から -7)
ISO 3166-1MX / MEX
ccTLD.mx
国際電話番号52

メキシコ合衆国(メキシコがっしゅうこく、スペイン語: Estados Unidos Mexicanos)、通称メキシコは、北アメリカ南部に位置する連邦共和制国家。北にアメリカ合衆国と南東にグアテマラベリーズと国境を接し、西は太平洋、東はメキシコ湾カリブ海に面する。首都メキシコシティ

メキシコの人口は2020年時点で1億2,893万人であり、スペイン語圏においてはもっとも人口の多い国である。国内総生産(GDP)は、中南米地域においてはブラジルに次いで第2位に位置する。人口は増加傾向であり、2019年統計で日本を抜いて世界10位となった。
国名

正式名称は、Estados Unidos Mexicanos( 発音、エスタドス・ウニドス・メヒカーノス)、略称は、Mexico([?me?.xi.ko?] ( 音声ファイル)、メヒコ)。

公式の英語表記は、United Mexican States(ユナイテッド・メクスィカン・ステイツ)、略称は、Mexico([?m?ks??ko?] ( 音声ファイル)、メクスィコゥ)。

日本語訳はメキシコ合衆国で、通称はメキシコである。当て字は日本語・中国語ともに墨西哥で、墨と略される。「合衆国」という表記の由来や意味については、同項目を参照のこと。

国名は独立戦争の最中の1821年に決定したものであり、アステカの一言語であるナワトル語で「メヒクトリの地」を意味する「M?xihco」に由来する。メヒクトリはアステカ族の守護神であり、太陽と戦いと狩猟の神であるウィツィロポチトリの別名で、「神に選ばれし者」の意味がある。アステカでもっとも信仰されたこの神の名に、場所を表す接尾辞「コ」をつけて、この地における国家の独立と繁栄に対する願いを込めた。

「合衆国」という政体名について、同じものを名乗る隣国、アメリカ合衆国が経済と軍事の両面で影響力が強大であり、単に「合衆国」だけでも同国を指すため、自国が米国の弟分のように見られてしまうとの不満が国民の一部に存在し、国名を「メキシコ共和国」に変更しようという動きがある。その一方で、伝統と歴史的背景を尊重する意見も多く、国名を変更することに対する賛否は分かれている。この意識は、19世紀末の米墨戦争敗戦直後から特に見られるようになり、以来長年にわたり議論が繰り返されているが、変更には至っていない[4]
歴史詳細は「メキシコの歴史」を参照
先コロンブス期パレンケマヤ時代のピラミッド。アステカの神ケツァルコアトルテスカトリポカアステカのジャガーの戦士

この地域は、紀元前2万年ごろの人間が居住した形跡があるといわれ、先古典期中期の紀元前1300年ごろ、メキシコ湾岸を中心にオルメカ文明が興った。オルメカ文明は、彼らの支配者の容貌を刻んだとされているネグロイド的風貌の巨石人頭像で知られている。

先古典期の終わりごろ、メキシコ中央高原のテスココ湖の南方に、円形の大ピラミッドで知られるクィクィルコ、東方にテオティワカンの巨大都市が築かれた。その後もユカタン半島のマヤ文明、メキシコ中央高原のアステカのような複数の高度な先住民文明の拠点として繁栄を極めた。その高度な文明はスペインによる植民地化によって大きな打撃を受けたが、それでもなお、その文化や技術は現代のメキシコ社会に影響を与えている。
アステカ帝国詳細は「アステカ」を参照

14世紀後半、テスココ湖の西岸にあったテパネカ族の国家アスカポツァルコテソソモクという英傑が現れ、その傭兵部隊だったアステカ族は、テソソモクが没したあとの15世紀前半、テスココトラコパンとともにアステカ三国同盟(英語版)を築いた。テスココの名君ネサワルコヨトルの死後は、完全にリーダーシップを握って周辺諸国を征服し、アステカの湖上の都テノチティトランを中心にアステカ帝国を形成した。アステカの守護神にして太陽と戦いの神ウィツィロポチトリと、雨の神トラロックを祀る高さ45メートルの大神殿「テンプロ・マヨール」がメキシコシティ歴史地区の憲法広場の北東にたっている[5]。この大神殿は、アステカ帝国の中心であるテノチティトランの中心部に位置していたとされている。アステカ帝国は比類なき軍事国家であり、現在のコスタ・リカにまで隆盛を轟かせていた。
スペイン植民地時代詳細は「ヌエバ・エスパーニャ」を参照「スペインによるアメリカ大陸の植民地化」も参照モクテスマ2世(中央)とエルナン・コルテス(右)の会見の様子。コルテスの隣の女性は通訳のマリンチェ

1492年クリストファー・コロンブスアメリカ大陸到達後、16世紀初頭の1519年にスペイン人エルナン・コルテスが上陸。コルテスら征服者達は、アステカの内紛や、神話の伝承を有利に利用して執拗な大虐殺を繰り返し行った末に、テノチティトランを破壊し、1521年に皇帝クアウテモックを惨殺してアステカ帝国を滅ぼした。そののちスペイン人たちは、この地にヌエバ・エスパーニャ(新スペイン)副王領を創設。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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