1621年4月15日(4月5日)、メイフラワー号はプリマスからイングランドへと出航[1]、5月16日(5月6日)に到着した。 メイフラワー号がイングランドを離れたとき、乗組員と102名の乗客が乗船していた。航海中に男子が1名生まれ、2人目は1620年から1621年にかけての冬の間に生まれた。また、航海中に子供が1人死んだが、植民地建設中にさらに1人生まれている。乗客の中心はピルグリム・ファーザーズだが、他にもロンドンの商人が手配してバージニア入植地に送り込もうとした労働者、使用人、農夫などもいた。 生き残った乗客はイギリスからニューイングランド地方への最初の永久移民となった。 1629年、2代目メイフラワー号がロンドンからプリマス植民地に35人の乗客を届けた。その多くは1回目の航海計画にも関わったライデンの清教徒たちである。これは最初の航海で使われたメイフラワー号とは異なる船だった。このときの航海は5月に出航し、プリマスには8月に到着した。この船はその後も1630年、1633年、1634年、1639年に大西洋を往復している。1641年、ジョン・コール船長の指揮でロンドンからバージニア入植地に向けて140人の乗客を乗せて出航したが、行方不明になった。1642年10月18日、同船の喪失がイギリスで宣言された[13]。 第二次世界大戦後、メイフラワー号の航海を再現しようという動きが生まれた。海軍の設計士 William A. Baker この船は今もプリマスの港に係留されていて、一般公開されている[14]。
乗客
2代目メイフラワー号
メイフラワー2世号メイフラワー2世号(プリマス)
ポップカルチャー
プリマス・アーガイルFCのエンブレムにはメイフラワー号がデザインされている。
ボブ・ディランのアルバム『ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム』に収録された曲「ボブ・ディランの115番目の夢」の歌詞にはメイフラワー号が出てくる。
ザ・ビーチ・ボーイズの伝説的未発表アルバム『スマイル』に収録予定だった「ロール・プリマス・ロック」は、ピューリタンを乗せたメイフラワー号が、米国マサチューセッツ・プリマス到着時、最初に踏んだとされる岩プリマス・ロックを題材に、アメリカの開拓史を皮肉った曲。後にリーダーのブライアン・ウィルソンが、ソロで同名のアルバムを発表し再現された。
イエスのメンバージョン・アンダーソンとヴァンゲリスはジョン・アンド・ヴァンゲリスという音楽ユニットを組み、アルバム「フレンズ・オブ・ミスター・カイロ (en
メイフラワー号の航海を描いた映画として、Plymouth Adventure (1952年) がある。
映画『フライングハイ2/危険がいっぱい月への旅』に登場するスペースシャトルは Mayflower One と呼ばれていた。
メイフラワー号の船内を描いた舞台作品として『メイフラワー (宝塚歌劇)』(1983年初演)がある。
米ドラマ『THIS IS US/ディス・イズ・アス36歳、これから』のなかで、メイフラワー号に乗ってアメリカにやってきた入植者リックという登場人物の設定がある。
脚注[脚注の使い方]
注釈^ イングランドでは当時ユリウス暦を、ヨーロッパ本土ではグレゴリオ暦を使っていた。そのため、文献には両方の日付が見られる。ここでは混乱を避けるためグレゴリオ暦の後にユリウス暦を括弧つきで表記する。
^ なお、スペイン人の新大陸入植はイギリス人よりも早く、1565年にはフロリダ半島にセントオーガスティン入植地を、また1610年にはヌエボ・メヒコ植民地(現ニューメキシコ州)の首都サンタフェをそれぞれ建設している。
出典^ a b c d e f g h i Moritz, Bjoern (2003年). “ ⇒The Pilgrim-Fathers’ Voyage with the 'Mayflower' (history)”. ShipsOnStamps.org. 2010年11月11日閲覧。