2011年センサスによると、ムンバイの人口は12,479,608人だった。人口密度は1平方キロメートルあたり約20,482人と推定されている。これは1人につき4.5平方メートルの生活空間があるという計算になる[33]。
このセンサスではムンバイの識字率は94.7%であり、86.7%の全国平均よりも高くなっている。人口の性比は男性1,000人に対し、ムンバイ市街県で女性が838人、ムンバイ郊外県で857人であり、ムンバイ市域全体では848人となる。これはインドの全国平均である男性1,000人に対し女性914人という数値に対して、明らかに男性が過大となっている。これはムンバイがインド最大の都市であり、仕事を求めてやってくる男性労働者が非常に多いことに由来する[34]。ダーラーヴィー地区は1887年の、イギリス植民地時代の人種差別政策より生まれた。
ムンバイ市民の宗教は、ヒンドゥー教が最も多く67.39%を占め、以下イスラム教徒(18.56%)、仏教徒(5.22%)、ジャイナ教徒(3.99%)、キリスト教徒(4.2%)[35]、シク教徒(0.58%)、他にわずかなパールシー(ゾロアスター教徒)やユダヤ教徒が存在する[36]。
地元のキリスト教徒には、ポルトガル人の布教によって18世紀から19世紀に改宗した東インド人が含まれる[37]。ムンバイには約80,000人のパールシーが居住しており、インド最大のコミュニティを形成している。インドには大きく2種類のスラムが存在する。認可されているスラムと認可されてないスラムだ。中央政府が1956年に制定したスラム法は、認可されたスラムの住民は法的に保護され、補償なしには強制的に退去されない。1995年以降、ムンバイ中心部のダーラーヴィー地区は州政府との合意のもとで住民たちがここで暮らすことが認可され、不十分だが水道も引かれている[注釈 2]。アジア第2の規模を持つスラム街と喧伝されるが、裕福な人や、運転手やオフィスワーカーなど、外で仕事を持っている人も多い。また、季節労働者として農閑期に仕事を求めてやってくる人も多いため、ダーラーヴィーの人口の流動性はかなり高い。ダーラーヴィー地区の再開発計画には、多くの海外企業が名乗り出ている。 最も話者が多いのは、州の公用語であるマラーティー語だが(42%)、それにグジャラート語(19%)が続き、残りはインド各地や世界各国から流入してきた各種言語が話されている[38]。特に公用語である英語やヒンディー語も第2、第3言語として広く通用している。 ムンバイで制作される映画はヒンディー語のものが多い。 ムンバイの公共交通機関には、ムンバイ近郊鉄道、モノレール、ムンバイ・メトロ、BESTバス、タクシー、オート・リクシャー、フェリー、航空機がある。 ムンバイ近郊鉄道は、セントラル鉄道 (CR) およびウェスタン鉄道 (WR) の二つの鉄道網をムンバイに敷いている。セントラル鉄道はチャトラパティ・シヴァージー・ターミナス駅(乗降客数が、インドで最も多い駅である。)を本部にしており、カバーエリアは市内中央部、北東部、東南部、近郊地域である。ウェスタン鉄道はチャーチゲート駅を本部とし、市内西部を中心に近郊地域もカバーしている。2014年6月8日にムンバイ・メトロ1号線が開通した。車両は中国の南京浦鎮車輛廠製[39]。長距離鉄道では、インド国鉄がムンバイと国内各都市を結んでいる。 BEST(ブリハンムンバイ電力交通公社)は市バスを運行しており、市内の大部分をカバーする。2階建てバスやエアコンバスを運行しており、市民は短中距離通勤にバスを利用する。なぜならば、鉄道が長距離通勤の際に運賃を抑えられるのに対し、短中距離通勤の際にはバスの方が交通費を抑えられるためである。また、タクシー(黒と黄色のツートンに塗り分けられた車体)とオート・リクシャーも市民の足となっている。 チャトラパティ・シヴァージー国際空港は市内から34kmのところにある空の玄関口であり、南アジアで最も乗降客数の多い空港である。ムンバイはインド全体の旅客空輸のうち、国内便は25%、国際便では38%を担っている。日本からは全日本空輸(ANA)とエアインディアがそれぞれ成田国際空港から直行便を運航している。 ムンバイには、ジャワハルラール・ネルー港 英国の旅行ガイドブック「Rough Guides」が2014年に発表した「世界で最も魅惑的な20都市」ランキングで、ムンバイ市がアジア最高の5位にランクインした。エレファンタ石窟群フローラの泉
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交通チャトラパティ・シヴァージー・ターミナス駅- ユネスコの世界遺産ムンバイ・モノレールムンバイ・メトロチャトラパティ・シヴァージー国際空港ターミナルT2
港ムンバイ港
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