ところで、ローマ法においても同様の家父長権が存在したが、ローマ法では大きく2つの概念に分かれていた。妻に対する権力である「マヌス(manus、「手」を意味する)」[3]と、子孫に対する権力である「ポテスタス(potestas、「力」を意味する)」である[4]。ただし共和政時代の初期には家父長権は所有権と未分化であったと考えられている。
ローマ社会でも家父長権の発生するマヌス婚と家父長権の発生しない自由婚が存在した。マヌス婚はムント婚と非常に似通っているが、ムント婚と異なり、妻は夫の財産を「娘と同じように」相続することができた。自由婚の場合は夫のマヌスに服することはなかったが、十二表法では自由婚でも婚姻生活を1年継続すると妻に対する夫の「使用取得(ウスカピオ)」によって、夫権が発生するとされた。これをウスス婚という。自由婚を継続したい場合は妻が1年に3日間外泊して夫の「使用権」を中断させればよいとされた。しかしウスス婚は帝政期には全く廃れた。
参考文献
ハンス・K・シュルツェ著、千葉徳夫ほか訳『西欧中世史事典』ミネルヴァ書房、1997年
吉野悟著『ローマ法とその社会』近藤出版社
典拠管理データベース: 国立図書館
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