ムラービト朝
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アブー・バクルは、フェズ攻略を含めたモロッコ全土の攻略を従弟のユースフ・イブン・ターシュフィーン(在位:1061年 - 1106年)に委ね、南方のガーナ王国征服に専心することになる[6]1061年1062年頃からガーナ王国に対してジハードを挑み、1076年に、首都クンビ=サレー(英語版)を陥落させて支配し、付近に住むサラコレ族に貢納をとった[6]。やがて反乱が起こったので、その鎮定に向かったが、1087年に死亡した[6]
ムラービト朝の全盛期とアンダルシア情勢

一方ユースフ・イブン・ターシュフィーンも有能な君主だった[6]。彼は、マラケシュの町を自らの手で立ち働いて整備し、モスク建設、灌漑路の開発を行い、「預言者ムハンマドと同様」という賛辞を浴びた[7]。ユースフは1069年にフェズを占領し、カラーウィーン地区とアンダルス地区に分かれていたフェズを一体化させ、城壁も一本化して強化した[7]隊商宿水車浴場を建設した[7]

ところで1031年後ウマイヤ朝崩壊後、イベリア半島のイスラム勢力はタイファに分裂、抗争するようになり、カスティーリャ王国アラゴン王国に圧迫されていた[8]1086年セビリャ諸侯ムータミドの救援要請に応じて、ユースフは出兵、カスティーリャのアルフォンソ6世サラカにおいて会戦を行なった[9]。ムラービト軍の太鼓の音と隊列に恐れをなしたカトリック連合軍は敗走した[10]。しかし、ユースフがモロッコに帰還すると、イスラム諸侯国は再び抗争を繰り返して、カトリック諸国につけ入られるばかりだったので、1090年にセビリャからの再度の救援要請を契機に、アンダルシアのイスラム諸侯国は真の信仰に根差していない、本当の聖戦を完遂するには、ムラービト朝自体の支配がなければならないという動機も手伝い、1091年にかつての同盟国、コルドバとセビリャを占領、セビリャのアルムスタミドを追放、1102年バレンシアを確保した[11]1106年にユースフが亡くなってからも、1110年サラゴサを占領、1118年トレドの包囲とその勢いを示した[12]
ムラービト朝の衰退と滅亡

しかしユースフが亡くなると、これを継いだアリー・イブン・ユースフ(在位:1107年 - 1142年)は、父王の在世中に政治にも携わっていたことから、将来を嘱望されていたが、セウタで生まれアンダルシアのイスラム文化に染まっていた彼には、父王のような指導力はなく、法学者たちに利用され、祈りと読書に部屋にこもりがちになった[13]。強力な指導者のいないムラービト軍は、1118年にアラゴン王国にサラゴサを奪われ、カスティーリャのアルフォンソ7世にも遠征軍を送られて、後退を余儀なくされていた[13]

この情勢で、最初は、ムラービト朝の支配を歓迎したアンダルシアのイスラム教徒住民も、ムラービト軍の暴行や文化の無理解に嫌気が差していたため、不満が爆発[14]、反ムラービト運動が起こり、コルドバ、ムルシア、バレンシアで反乱が起こった[13]。またモロッコ国内でもムワッヒド運動が起こっており、アンダルシアのイスラム諸侯国は、ムワッヒド勢力と通じるようになり、ターシュフィーン・イブン・アリー(在位:1142年 - 1146年)、次いでイスハーク(在位:1146年 - 1147年)の時、首都マラケシュは陥落し、ついに1147年ムワッヒド朝に滅ぼされた[15][16]
文化「ムラービト朝とムワッヒド朝の美術(フランス語版)」も参照

ムラービト朝は、禁欲主義的な生活の場である修道場・宗教施設であり、対外的には異教徒への前線基地、軍事施設でもある「リバート」が王朝名を示す通り、リバートの修行者(ムラービト)たちが中核となった宗教運動によって興された政権である。この宗教運動の端緒がマーリク派法学者イブン・ヤースィーンの教説に始まったことから、王朝内ではマーリク派法学が公認の学問として隆盛した。カーディー・イヤードや、11世紀前半にコルドバの大カーディーとして活躍し、マーリク派法学史上で最も権威ある学者の一人となったイブン・ルシュド・ジャッド(イブン・ルシュドの祖父)らが有名である。一方で、東方から流入して来たガザーリーの思弁哲学に対しては異端的思想として弾圧している。

ムラービト朝の君主たちはアッバース朝の権威を認めていたが、カリフの用いた称号「アミール・アル=ムウミニーン(信徒たちの長(アミール))に類似する、「アミール・アル=ムスリミーン(ムスリムたちの長(アミール))」という称号を用いていた[17]


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