しかし、1390年にアブー・バクル・シャーを支持していた奴隷が二派に分裂、一方はムハンマドをデリーに招いた[1]。アブー・バクル・シャーはデリーから逃亡、ムハンマドはデリーに入城し、ナーシルッディーン・ムハンマド・シャーとして王座に就いた[1]。
1394年、ムハンマド・シャーは死去し、アラー・ウッディーン・シカンダル・シャーが継いだ。だが、同年にシカンダル・シャーも死亡し、間もなく宮廷勢力が2派に分かれ、それぞれ傀儡を擁立して抗争を始めた[1]。
脚注^ a b c d e f g ロビンソン『ムガル皇帝歴代誌』、p.148
参考文献
フランシス・ロビンソン 著、月森左知 訳『ムガル皇帝歴代誌 インド、イラン、中央アジアのイスラーム諸王国の興亡(1206年 - 1925年)』創元社、2009年。
関連項目
トゥグルク朝
先代
アブー・バクル・シャートゥグルク朝の君主
1390年 - 1394年次代
アラー・ウッディーン・シカンダル・シャー