ムハンマド・ビン・サルマーン
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前政権でバンダル・ビン・スルターンらが推し進めた中国との経済的軍事的協力関係もアジアインフラ投資銀行への加盟や初の合同演習を行うなど強化し[16][17][18]、中国から購入した無人攻撃機自走砲をイエメンに投じ[19][20][21]弾道ミサイルや核施設の建設でも協力を受けているとされる[22][23]。また、伝統的な友好国であるパキスタンも重視し、イスラム協力機構(OIC)の条約を根拠に2015年12月にイランやシリアといったシーア派諸国を除くイスラム圏34カ国と対テロ連合イスラム軍事同盟(英語版)を発足させ[24]、初代最高司令官に前パキスタン陸軍参謀長のラヒール・シャリフ(英語版)を任命した[25]。パキスタンも加盟する中露主導の上海協力機構にも参加を申請し[26]、対話パートナーとしての参加を認められた[27]

2015年秋に王族内で、ムハンマドが事実上統治を代行している現行のサルマーン体制を非難する怪文書が出回り、この中でムハンマドは「サウジアラビアを政治的にも経済的にも軍事的にも破局に導いている。」と非難された。ムハンマドが独断専行的に「サウジアラビア版サッチャー革命」と評されるような急進的な経済改革プランを志向していることやイエメンへ軍事介入していることが非難の的となった。またイエメン介入に関しては、同年12月にドイツ諜報機関連邦情報局が「ムハンマドが自らをアラブの指導者として見せ付けるために、独断的に衝動的なイエメンへの介入政策を繰り返しており、これに対して王族内で不満が高まっており、サウジの体制に危機が迫っている。」とする分析結果を公表した[28][29][30]

2016年1月、サウジが国内のシーア派指導者・ニムル師を処刑(アラビア語版)すると、これにシーア派のイランが反発し駐イランのサウジ大使館が群衆に襲撃された。これを受けてサウジはイランと国交断絶したが、一連のサウジ側の決定は、ムハンマドが軍事・外交で実権を握った影響もあるとされる[31]。この件でムハンマドはアメリカのケリー国務長官からイランとの関係を修復するよう電話を受けた[32]

同年8月31日から9月2日まで訪日し、天皇皇太子徳仁親王安倍晋三内閣総理大臣稲田朋美防衛大臣と会談し、経済・安全保障分野での二国間協力に関する覚書を交わした。この訪日は翌年のサルマーン国王の訪日の地ならしでもあった[33]
王太子として

2017年6月、サルマーン国王の勅命によりムハンマド・ビン・ナーイフ王太子が解任され、ムハンマドが王太子に昇格し王位継承者となった[34]。同時に第一副首相となり、国防相などのポストは継続する[34]。また、同時期、2017年カタール外交危機が起き、サウジアラビアはカタールと国交断絶した。

2017年10月24日、リヤドで開かれた経済フォーラムに台臨。フォーラムの演説の中で、過激なイデオロギーを倒して「より穏健なイスラム」に立ち返る政治方針を示した[35]

サウジアラビアを支えてきた石油資源に依存しない経済・社会を目指した改革を進めている。生活や仕事は夜型で、午前0時過ぎに省庁幹部の携帯電話を鳴らして、業務の進捗を問うこともしばしばあるという[36]

2017年11月、ムハンマドが率いる反汚職委員会が、ムトイブ王子(国家警備相)やアルワーリド王子ら王子11人を含む複数の閣僚経験者を逮捕した。表向きは汚職容疑であるがムハンマドが志向する急進的な改革に対する抵抗勢力を潰すためであると観測された[37]

2018年3月のアメリカ合衆国訪問を前に米CBSテレビとのインタビューに応じ、「サウジアラビアは核爆弾を持つことを望んでいないが、イランが核兵器を開発すれば、それに従うことになる」と語った[38]

2018年10月にムハンマドに批判的だったジャーナリストのジャマル・カショギが在イスタンブールのサウジアラビア領事館内にて殺害されるという事件が発生し、アメリカ合衆国の情報機関はムハンマドが殺害計画を承認していたと認定、国際的な批判を受けることとなった(後述)。

2019年2月、パキスタンと中国を訪問し、パキスタンを訪れたムハンマドは一帯一路構想による開発が進むグワーダルの製油所建設などの合意書に署名し[39][40]、訪中の際はテロとの戦いに必要な中国の措置を支持すると述べて新疆ウイグル自治区での人権弾圧を容認するものとして物議を醸した[41]。同年7月の国際連合人権理事会では日本などの22か国が中国の新疆ウイグル再教育キャンプなどを非難した共同書簡に対抗して中国を擁護する書簡を公開したロシア、シリア、イラン、カタールなどの50か国にサウジも加わった[42][43][44]。また、サウジアラビアの主導するイスラム協力機構もムスリムに対する中国の措置への「称賛」を表明した[45][46]

2020年3月6日、OPECプラスの会合で追加減産を拒否したロシアと対立したサウジアラビアのエネルギー相であるアブドゥルアズィーズ・ビン・サルマン・アール=サウード王子は「今日という日を後悔するだろう」と述べて増産を表明して1991年湾岸戦争以来最大の原油価格の暴落を引き起こし[47][48]、「石油価格戦争」「原油価格戦争」と呼ばれる様相を呈した[49][50][51][52][53]


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