ミラノ
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近年は航空産業や自動車産業、精密機器工業なども発達しており、イタリア最大級の経済地域を形成している。

日本の民間研究所2016年に発表した「世界の都市総合力ランキング」では、世界31位と評価された[6]。また、アメリカのシンクタンクが2016年に発表した世界都市ランキングでは世界45位と評価された[7]
地理ポー平原の水田

ミラノはイタリア北部でトリノ、パルマなどの都市とともにポー平原に位置し、南にポー川、北にコモ湖などのあるアルプス山麓が位置する。地形は平坦で標高は122m。
気候

気候はケッペンの気候区分温暖湿潤気候 (Cfa) に属し、夏は蒸し暑く、冬は寒冷・多霧である。アルプス山脈とアペニン山脈に挟まれるため降水量が少なく無風の日が多いが、公害がもっともひどい都市でもある。平均気温は5 - 9月が最高20 - 30℃、10 - 4月が18 - 6℃である。

ミラノ(ミラノ・リナーテ空港:標高107m、1971 - 2000年、極値1946年 - )の気候
月1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月年
最高気温記録 °C (°F)21.7
(71.1)23.8
(74.8)26.9
(80.4)32.4
(90.3)35.5
(95.9)36.6
(97.9)37.2
(99)36.9
(98.4)33.0
(91.4)28.2
(82.8)23.0
(73.4)21.2
(70.2)37.2
(99)
平均最高気温 °C (°F)5.9
(42.6)9.0
(48.2)14.3
(57.7)17.4
(63.3)22.3
(72.1)26.2
(79.2)29.2
(84.6)28.5
(83.3)24.4
(75.9)17.8
(64)10.7
(51.3)6.4
(43.5)17.7
(63.9)
日平均気温 °C (°F)2.5
(36.5)4.7
(40.5)9.0
(48.2)12.2
(54)17.0
(62.6)20.8
(69.4)23.6
(74.5)23.0
(73.4)19.2
(66.6)13.4
(56.1)7.2
(45)3.3
(37.9)13.0
(55.4)
平均最低気温 °C (°F)?0.9
(30.4)0.3
(32.5)3.8
(38.8)7.0
(44.6)11.6
(52.9)15.4
(59.7)18.0
(64.4)17.6
(63.7)14.0
(57.2)9.0
(48.2)3.7
(38.7)0.1
(32.2)8.3
(46.9)
最低気温記録 °C (°F)?15.0
(5)?15.6
(3.9)?7.4
(18.7)?2.5
(27.5)?0.8
(30.6)5.6
(42.1)8.4
(47.1)8.0
(46.4)3.0
(37.4)?2.3
(27.9)?6.2
(20.8)?13.6
(7.5)?15.6
(3.9)
降水量 mm (inch)58.7
(2.311)49.2
(1.937)65.0
(2.559)75.5
(2.972)95.5
(3.76)66.7
(2.626)66.8
(2.63)88.8
(3.496)93.1
(3.665)122.4
(4.819)76.7
(3.02)61.7
(2.429)920.1
(36.224)
平均降水日数 (?1.0 mm)6.75.36.78.18.97.75.47.16.18.36.46.383.0
湿度86787175727171727481858677
平均月間日照時間58.996.1151.9177.0210.8243.0285.2251.1186.0130.266.058.91,915.1
出典:Servizio Meteorologico[8][9][10]

地震分類

イタリアの地震リスク階級 (it) では、3 に分類される[11]
都市景観アルプス山脈を背景としたミラノの街並み
人口統計

国別の海外出身者の人口[12]
出身国人口 (2022)
 エジプト38,211
 フィリピン37,540
 中国30,688
 スリランカ15,603
 ペルー15,352
 ルーマニア13,629
 バングラデシュ10,328
 エクアドル9,433
 モロッコ7,928
 ウクライナ7,685
 エルサルバドル5,466
 アルバニア4,603
 フランス3,317
 ブラジル2,678
 セネガル2,581
 ロシア2,306
 スペイン2,219
 モルドバ2,117
 パキスタン2,021
 イラン1,980
 ボリビア1,869
 日本1,794
 インド1,665
 イギリス1,761
 ドイツ1,533

現在ミラノの人口はおよそ140万人(ミラノ都市圏はおよそ435万人)で、ローマに続くイタリアで2番目に大きな都市である。ミラノは国際的な都市で、アジア系(おもにフィリピン人中国人スリランカ人)、ラテンアメリカ系(おもにペルー人エクアドル人)や北アフリカ系(おもにエジプト人モロッコ人)が多い[13]。ミラノはイタリア唯一の中華街がある。ミラノはイタリア経済と金融の中心地で、領事館や機関の数も多い。ミラノにはイタリア最多のおよそ2,000人の日本人が在住しており、日本人学校も存在する。ミラノの人口は1900年に50万を超え、1933年に100万、1971年に173万を超えたが、その後人口が減少し2001年にはおよそ125万人だった。
歴史詳細は「ミラノの歴史(イタリア語版、英語版)」を参照
古代

ミラノは古代にはメディオラヌム(メディオラーヌム)と称され、紀元前600年ケルト人の町を元にしている。前222年にローマが征服したが、そのどちらにもMediolanum(平原の真中)と称され、293年から402年まではMailandとも称された。その後はローマ帝国のもとで繁栄した。4世紀、司教アンブロジウスと皇帝テオドシウス1世の時代には西ローマ帝国皇帝の宮殿が置かれ、西ローマ帝国の首都であった。450年ごろ、アッティラに指揮されたフン族の略奪をうけ、539年にはゴート族に破壊されたが、8世紀末ごろに再び繁栄し始めた。
中世

中世を通じてミラノは大司教に統治されたが、都市の独立性をある程度保ちながら、下層の封建貴族たちは次第に大司教の世俗的支配から脱していった。東ゴート王国東ローマ帝国ランゴバルド王国の時代を過ぎ、11世紀にはそうした貴族たちがミラノを富裕な自治都市へと変化させ、成長の回復と神聖ローマ帝国からの独立を果たした。1162年、ミラノは神聖ローマ帝国フリードリヒ1世の軍隊に破壊された。しかしすぐに復興し、ロンバルディア同盟を結成して、1176年にはレニャーノの近くでフリードリヒ1世を打ち破った。この勝利でミラノは新しい繁栄の時代を迎えた。1277年、貴族のヴィスコンティ家が、領主のデッラ・トッレ家からミラノの統治権を奪った。
ミラノ公国

中世後期とルネサンス時代にはミラノはヴィスコンティ家スフォルツァ家ミラノ公国になった。1395年ミラノ公の称号を授かった初代ミラノ公ジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティ(1351年-1402年)の時代には繁栄をきわめ、黄金時代を迎え、ヴィスコンティ家の支配は1447年まで続いた。

1450年には軍人フランチェスコ・スフォルツァが権力を握り、ミラノの統治者としての地位を固めた。続いて息子ルドヴィーコは学芸の保護にも熱心でレオナルド・ダ・ヴィンチをミラノに迎えた。


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