北海道小樽市生まれ。1957年のハリウッド映画『サヨナラ』で東洋人の俳優として初のアカデミー賞を受賞した[1]。 小樽市稲穂の梅木鉄工所の娘として生まれる。小樽緑ヶ丘高等女学校(現在の札幌山の手高等学校の源流)卒業後、戦後まもなくから地元の病院長夫人に英語を学ぶ[4]。兄が札幌のマックネア・シアター(戦前は松竹座)で看板の絵を描いた縁で、18歳でオーディションを受ける。審査員はトロンボーン奏者の森亨 外国タレントの呼び屋としてアメリカ芸能界と縁のあった永島の助言で[8]、1955年、音楽の勉強のため渡米した梅木は以後活動の舞台をアメリカに移す[2]。1956年にはCBSテレビの『アーサー・ゴドフリー・ショウ 1957年、マーロン・ブランド主演の映画『サヨナラ』で高美以子と共にスクリーンデビュー。この映画の演技でアカデミー助演女優賞を受賞した[1]。これは東洋人の俳優としては初のアカデミー賞受賞であり、また助演女優賞をアメリカとイギリス以外の俳優が受賞したのも初めてであった[10]。 なお、この年の助演男優賞にはやはり日本人の早川雪洲(『戦場にかける橋』)がノミネートされていたが受賞者は『サヨナラ』でミヨシの相手役であったレッド・バトンズであった[11]。 1958年開演のブロードウェイミュージカル『フラワー・ドラム・ソング』 に出演したミヨシはトニー賞のミュージカル部門最優秀女優賞にノミネートされ、1961年に映画化された際にも舞台と同じ役を演じた[2]。 その他の映画出演作品には『嬉し泣き
生涯
ジャズ歌手
渡米
ハリウッドデビュー
ブロードウェイ
またゴールデン・グローブ賞に3回ノミネートされている。 ミヨシは1958年にテレビディレクターのフレデリック・ウィンフィールド・ウィン・オピーと結婚し、1967年に離婚した[13]。
ミュージカル・コメディ部門 主演女優賞 『フラワー・ドラム・ソング』(1961)
ミュージカル・コメディ部門 助演女優賞 『サヨナラ』(1957)
ミュージカル・コメディ部門 助演女優賞(連続TV部門) 『The Courtship Of Eddie's Father』(1970)
結婚とその後