ミュティレネのラオメドン
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ところがアルケタスは紀元前320年のクレトポリスの戦いでアンティゴノスに敗れ、アルケタスの派は四散した[8]。ラオメドン自身のその後の消息は不明である。
註^ アッリアノス, III, 6
^ ibid, III, 6
^ ディオドロス, XVIII, 3
^ ユスティヌス, XIII, 4
^ ディオドロス, XVIII, 39
^ a b アッピアノス, 52
^ ディオドロス, XVIII, 43
^ ディオドロス, XVIII, 44-45
参考文献
ポンペイウス・トログス / ユスティヌス抄録『地中海世界史』 合阪學 訳、京都大学学術出版会〈西洋古典叢書〉、1998年
アッリアノス『アレクサンドロス大王東征記』 大牟田章訳、岩波文庫(上下)、2001年
ディオドロス『アレクサンドロス大王の歴史』 森谷公俊 訳註、河出書房新社、2023年。完訳版
外部リンク
⇒アッピアノスの『ローマ史』の「シリア戦争」の英訳
⇒ディオドロスの『歴史叢書』の英訳
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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