ミッドナイト東海
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初代 ビリー・ヴォーン楽団『The Way Of Love』(恋のてくだ)

2代目 デニース・コッフィー『Ride, Sally, Ride』[19]

パーソナリティ

天野鎮雄(初代パーソナリティ、月・木 → 月 / 1968年3月 - 1972年4月)

岡本典子(初代パーソナリティ、火・金 → 火 → 木・土 / 1968年3月 - 1973年5月、土 / 1975年4月 - 1975年6月)東海ラジオ アナウンサー(当時)

中神靖(初代パーソナリティ、水・土)東海ラジオ アナウンサー(当時)

森本レオ(森本玲夫)(2代目パーソナリティ、水・土 → 土 / 1968年 - 1972年7月22日 舌禍事件で降板)

梅村勝彦(水 / - 1972年3月、土 → 火・金 / 1972年7月29日 - 1973年3月)東海ラジオ アナウンサー(当時)

三浦恭子(木 → 水 / - 1972年9月)

小沢典子(木 / 1972年4月 - 1972年9月)

おぎわら邦夫(金 / - 1972年9月)

つボイノリオ(坪井のりお)(月 / 1972年5月 - 9月 舌禍事件で降板)

山平和彦(月・水 / 1972年10月 - 1973年12月)

名和秀雄(火・金 → 金 / 1972年10月 - 1975年3月)

小野修身(月・水 / 1972年10月 - 1973年3月)東海ラジオ アナウンサー(当時)

町田吉史(木・土 / 1972年10月 - 1973年3月)

山下裕子(木・土 → 水 / 1973年6月 - 1976年3月)

松原敬生(火 / 1974年1月 - 1976年6月) 東海ラジオ アナウンサー(当時)

柳家小三治(土 / 1974年1月 - 1975年3月)

石橋まち子(月 / 1974年1月 - 1975年3月)

蟹江篤子(木 → 金 / 1974年1月 - 1976年6月[20])東海ラジオ アナウンサー(当時)

笑福亭鶴瓶(金 → 木 / 1975年4月 - 1983年8月)

宮地佑紀生(宮地由紀男)(月 / 1975年4月 - 1983年8月)

財津和夫(土1部 → 2部 / 1975年7月? 後に「財津和夫の人生ゲーム」として番組枠が独立)

柴田容子(火 / 1976年7月 - 1978年9月)

田村圭世子(金 / 1976年7月 - 1977年9月)

水野智代子(土2部 → 1部 / 1976年4月 - 1980年9月)

兵藤ゆき(水 → 金 / 1976年4月 - 1983年8月 田村圭世子の後継で金に移動)

奥山敬造(奥山景三)(水 / 1976年4月 - 1978年9月 兵藤ゆきとペアから枠移動に伴い、単独で担当)

麻世れいら(火 / 1978年10月 - 1982年3月 柴田容子の後継)

増井靖彦(水 / 1978年10月 - 1980年3月)

竹内正美(水 / 1980年4月 - 1981年3月)

河原龍夫(土 → 水 / 1980年10月 - 1983年8月)

重光久美(火 / 1982年4月 - 1983年8月)

注釈^ 実業之日本社「こどもポケット百科『BCLデータブック』」(監修:山田耕嗣、1981年)p.287
^ 『東海ラジオ放送十年史』東海ラジオ放送、1969年11月20日。NDLJP:12274668/284。 
^ a b 東海ラジオ放送創立50年のあゆみ 50th anniversary(東海ラジオ放送株式会社 編 2009年)p.148 - 149
^ 名前は「 - よりこ」。現・フリーアナウンサー、ボイストレーナー
^ 当初は、森本玲夫と名乗っていた。
^ 「東海ラジオ放送」『ラジオライフ』第1巻第2号、三才ブックス、1980年8月1日、17頁。 
^CBCビップ・ヤング』を当番組の時間帯に放送していたが、聴取率低迷とCBCの労働争議による影響で終了した。
^ 1972年7月26日に開催した『鈴蘭高原 ふぉーくじゃんぼりー』の告知を番組内で連日 行った際、つボイは「このイベントはフリーSEXなのか?」というリスナーの葉書について「こんな安価の入場料で出来る訳がない」と回答。その後、森本レオが担当していた土曜日の番組内で「つボイが会場内では、フリーSEXだと言っていた」という葉書が届いた。森本は「東海ラジオ主催のイベントで、そんな事はさせない」と回答。それを聴いた他のリスナーが父親に「イベントはフリーSEXだ」と伝えた。リスナーの父は三重県の教育関係者で各学校に対して、イベントの参加を止めさせる様に通達を出し、東海ラジオにも厳重に抗議した。イベントは開催されたが、森本とつボイは一連の騒動の責任を取る形で番組を降板した。扶桑社『つボイ正伝 -「金太の大冒険」の大冒険』p.36 - 43
^ 月刊ラジオパラダイス1987年4月号『深夜放送20周年ぐらふぃてぃ』特集の記事によると、原因は『乱交パーティーにでもなれば面白いけど・・・』という軽いジョークのつもりの発言だったという。
^ 「『全寮制の中学校へ行かせたい』という父親から(夏季休暇前まで)通っていた中学校を無断で除籍させられたことで悩んでいる」という中学生との電話相談で、途中から電話に出た父親(医師)の(鶴瓶に対する)侮蔑的・(相談者に対する)非協力的な言動に激昂。生放送中にもかかわらず、父親と電話で激しく口論したあげく、(その父親が営んでいた)病院の実名(○○)を挙げながらリスナーに向けて「○○病院には行くな!」と発言した。
^ “2012年9月30日放送 10:00 - 11:45 フジテレビ 笑っていいとも!増刊号”. TVでた蔵. ワイヤーアクション (2012年9月30日). 2021年8月13日閲覧。
^ SFマンスリー第91号(東海ラジオ放送、1975年2月15日発行)p.18 - 19「ヤングアダルト・アダルトへシェアを拡げるミッドナイト東海 深夜のリスナーを独占」
^ NHKには、民放局の現役アナを出演させないという慣例があった。
^ https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/s/soorce/20100307/20100307212435.jpg
^ https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/s/soorce/20100307/20100307212239.jpg
^ https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/s/soorce/20100307/20100307212202.jpg
^ https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/s/soorce/20100307/20100307212305.jpg
^ 東海ラジオ放送創立50年のあゆみ : 50th anniversary(東海ラジオ放送、2009年11月)「1983年」のページ
^ 「深夜番組のテーマ曲」『ラジオライフ』第2巻第2号、三才ブックス、1981年3月1日、64頁。 
^ 1975年11月に笑福亭鶴瓶と担当曜日を交換










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