ミズーリは1940年6月12日に建造発注され、ブルックリンのニューヨーク海軍工廠1941年1月6日に起工、1944年1月29日にメアリー・マーガレット・トルーマン(ミズーリ州選出上院議員ハリー・S・トルーマンの娘)によって命名、進水した。1944年6月11日にアメリカ海軍最後の戦艦として初代艦長ウィリアム・M・キャラハン大佐の指揮下就役した。 ニューヨーク沖での慣熟訓練及びチェサピーク湾での戦闘訓練の後、ノーフォークを11月11日に出航、パナマ運河を11月18日に通過しサンフランシスコで艦隊旗艦としての最終調整を行った。就役直後は灰色2色に黒を交えた雲形迷彩(Ms.32/22D)が施されていた。サンフランシスコを12月14日に出航し、12月24日に真珠湾に到着した。1945年1月2日にハワイを出発し1月13日にウルシー泊地に到着、そこでマーク・ミッチャー海軍中将率いる第58任務部隊臨時司令部に任ぜられた。1月27日にレキシントン任務グループの護衛任務に出発、2月16日に空母部隊は1942年4月18日のドーリットル空襲以来の日本本土空襲を行った。 その後空母部隊と共に硫黄島に向かい、2月19日の上陸作戦に対して支援艦砲射撃を実施した。第58任務部隊は3月5日にウルシー泊地に帰還し、ヨークタウン空母任務グループへ配属された。3月14日にウルシー泊地を出航、部隊は日本本土に向かった。3月18日に開始した瀬戸内海沿岸に対する攻撃で、4機の日本軍機を撃墜した。 瀬戸内海および本州南西部の飛行場、海軍基地に対する攻撃は継続された。日本軍の反撃により3月19日にフランクリンが2発の爆弾を被弾し大きな損害を受け、フランクリンは14ノット(26km/h)の速度で重巡洋艦ピッツバーグに曳航された。ミズーリを含む空母機動部隊はフランクリンの護衛を3月22日のウルシー泊地到着まで行った。その後、沖縄攻略前の艦砲射撃のため再び日本に向った。 3月24日、第58任務部隊と共に沖縄南東部海岸に対して砲撃を行った。海兵隊と陸軍部隊が4月1日の朝に上陸を決行すると、再び空母護衛部隊と合流した。空母艦載機部隊は4月7日に戦艦大和を撃沈し、3隻の駆逐艦を大きく破壊、4隻の駆逐艦が長崎の佐世保へ後退した。 4月11日午後、特攻機(爆装零戦)1機が低空飛行で右舷甲板に突入した。突入機の右翼は第3副砲塔上にぶつかり、燃料に引火した。表面に軽微な損傷を受けたが、速やかに鎮火した。この攻撃の跡は現在も船体に残っている。
第二次世界大戦