ポール・シュレイダーの兄で、日本映画通であり親日家のレナード・シュレイダーは、1968年(昭和43年)に初来日してから同志社大学で英文学の講師をしていた当時、1970年(昭和45年)の三島事件に遭遇し衝撃を受けていた。それ以来、レナードは三島の小説や資料を集め続け、1975年(昭和50年)から映画化を構想し、弟・ポールに提案して、一緒に脚本を書き始めたのだという[2]。
ポール・シュレイダーは、『Mishima』を日本で撮影中、以下のように語っている。もし三島由紀夫が実在の人物でなかったとしても、私はフィクションの中で三島のような人物を描いただろう。三島は私が興味を持っている、いちばん書きたいタイプの人間だった。彼は自分の人生を一つのフィクションのように扱い、人生そのものを芸術作品にしようと意識的に生きたのだと思う。実在しない人物について書くほうが、本当のところ簡単だ。しかし、実在した人の人生をみていくと、フィクションよりもずっとおもしろいものがある。三島の場合、私が西洋人で彼が東洋人であることも私の興味をそそった。 ? ポール・シュレイダー「垣井道弘のインタビュー」[2]
三島役として坂本龍一にもオファーがあったという[9]。坂本はこれを断った理由について、自身がパーソナリティーを務めていたラジオ番組「サウンドストリート」の中で、「『戦場のメリークリスマス』の後にこの映画で三島役を演じたら、海外から『サカモトは右翼だ』と思われそうだ」と、冗談めかした口調で語り、これと同様のコメントを、映画『ラストエンペラー』のパンフレット内のインタビュー記事でもしている。 作中の事件当日の朝、緒形拳演じる三島が青いサテンのガウンを着てコーヒーを飲んでいる場面があるが、実際の三島は当日の朝はコップ一杯の水しか、お手伝いさんに要求していない[10]。 また、写真集『薔薇刑』の撮影で、三島自身がカメラのアングルを指示している場面があるが、写真家の細江英公はこれを否定し、以下のように語っている[11]。三島氏は自分を「被写体」(Subject Matter)と呼び、最初から最後まで完全に「被写体」に徹してくれたこと、そのことを氏は『薔薇刑』の序文「細江英公序説」の中ではっきりと書いている[注釈 2]。(中略)だからハリウッドの映画監督がつくった映画 『MISHIMA』の中で私らしい写真家が登場するが、そこで画面上のMISHIMAがカメラをかまえる写真家に向かってカメラの位置を変えるように手で指示するシーンがでてくるが、あんなことは絶対になかったし、ありえないことだ。
スタッフ
製作総指揮:フランシス・フォード・コッポラ、ジョージ・ルーカス
製作:山本又一朗、トム・ラディ
監督:ポール・シュレイダー
脚本:ポール・シュレイダー
原作:三島由紀夫
撮影:ジョン・ベイリー、栗田豊通
音楽:フィリップ・グラス
美術:石岡瑛子
ナレーション:ロイ・シャイダー(英語)、緒形拳(日本語)
映画と事実との違い