ミシシッピ州
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南部の会派は独自の影響力を元の会派にも行使した[36][37]

1900年までに特に町で多くの白人牧師が社会的福音運動に参加し、キリスト教の倫理を当時の社会と経済の需要に合わせようとした。多くの者が強力に禁酒運動を支持し、それが多くの罪からの救済を助けると考えた[38]

アフリカ系アメリカ人バプテスト教会は白人のバプテスト教会の2倍もの信徒を抱えるほど成長した。アフリカ系アメリカ人は1930年代の世界恐慌や1940年代の第二次世界大戦の時代を通じて、社会的な平等を要求した。アメリカの公民権運動は宗教に多くを根ざしており、教会の強い社会がその活動に自発性と道徳的な目的を与えた。法的な差別すなわちジム・クロウ法の終わりにより、幾つかの教会は再統合されたが、大半は今日でも人種の壁が残ったままである[39]ハッティズバーグのように多様化が進んだ社会では、幾つかの教会が多人種の会派となっている[20]。1970年代から、原理主義の保守的な教会が急速に成長し、白人の間に政治的に保守の傾向を助長している[35]

2012年時点で、州民の59%は自分を「大変宗教的」と見なしており、国内でも最も宗教色の強い州だと広く認められている[40]。2000年時点で南部バプテスト連盟には916,440人の信徒がおり、州内最大の宗派となっている。続いてユナイテッド・メソジスト教会の240,576人、ローマ・カトリック教会の115,760人となっている[41]。キリスト教以外ではイスラム教3,900人、ユダヤ教1,400人、バハイ教811人となっていた[41]
健康

健康管理システムの効率を上げるための非営利機関であるコモンウェルス・ファンドに拠れば、ミシシッピ州は健康管理について50州の中で最下位である[42]。3年間続けて州民の30%以上が肥満と判定された。2006年の調査では子供達の22.8%が肥満だった。2005年から2008年まで肥満率では50州の中で最高であり、高血圧糖尿病、成人の運動不足の率でも第1位だった[43]。2008年、アフリカ系アメリカ人女性の調査で、これら不健康の寄与要因として、肥満度指数、食事習慣、肉体的運動不足に関する知識の不足、社会的支援の欠如、友人による動機付けや奨励の無さが挙げられている。2002年のアフリカ系アメリカ人青年に関する報告書は、子供の3分の1が肥満であるという1999年の調査が、ミシシッピ・デルタ地域で特に高いものであることを述べていた[44]

この調査は「肥満が幼児期に始まり、青年期に拡大し、おそらくそのまま大人になる」と強調していた。デルタ地域はアフリカ系アメリカ人が多数であり、「州内で最も配慮が足りない地域であること」、医療機関が身近になく、利用しにくいこと、推計で住民の60%が貧困線以下にあることなど、必要とされる行動改善の障害になっているとしている[44]。さらに危険な要因としては、大半の学校で体育が無く、栄養教育が強調されていないことがあげられる。以前に行われた生活介入戦略は、文化的に感性がなく、実行しにくいためにほとんど効果が無かった[44]。2006年の調査では、成人の95%が子供の肥満は重大な問題だと考えている。
インディアン部族1800年の段階で、アメリカ連邦政府と条約で保証された、ミシシッピー州におけるチョクトー族のかつての領土。1830年の段階でのチョクトー族の領土と、この年に行われたオクラホマへの強制移住「涙の道」の経路(赤い実線)。チカソー族の強制移住は1832年に行われた(紫色の実線)。どちらの部族も陸軍によって大陸の徒歩横断を強制され、併せて数千人に上る途上死者を生んだ。チョクトー族ミシシッピ・バンドの部族国旗現在のミシシッピー・チョクトー族の領土は、このネショバ郡(赤い部分)の一角にある保留地のみである

ミシシッピー川のもたらす肥沃な大地と沿岸部の漁猟資源に支えられ、チョクトー族、アコラピッサ族、ビロキシー族、キャピナン族、チャクチウマ族、チカソー族、チョウラ族、グリグラ族、ホウマ族、イビトウパ族、コアサチ族、コロア族、モクトビ族、ナチェス族、オフォ族、オケロウサ族、パスカゴウラ族、ペンサコーラ族、クアポー族(アーカンサス族)、タポサ族、チオウ族、チュニカ族、ヤズー族など、かつて20を超えるインディアン部族が先住し、チョクトー族の連合国家が州のほとんどを領有したが、アメリカ政府によってほとんどが滅ぼされた。

残った諸部族も、1830年代に民族浄化政策を掲げるアンドリュー・ジャクソン大統領の「インディアン移住法」によって、オクラホマ州に強制移住させられた。巨大な都市群を建設したナチェス族も滅ぼされ、残ったものはオクラホマへ強制移住させられて、ミシシッピ州では国立公園にその名をとどめるだけとなっている。

部族が強制移住させられた後も、インディアンの多くが同州に残った。しかし、南部の人種差別州として悪名高かったミシシッピ州での、インディアンに対する扱いはひどいものだった。彼らの家や農場は放火、破壊され、拷問を受ける者も多かった。ジョージア州からミシシッピー州に越してきた、ジョセフ・コッブという人物は、「どんな黒人にも見つけられる、何らの貴さも美徳も、赤い男たち(インディアン)にはなにひとつ許されない。チョクトー族とチカソー族への差別は、黒人奴隷と同等か、それよりもまだひどい」と書き残している。現在、ミシシッピ州で公式にアメリカ連邦政府が認定し、保留地(Reservation)を領有しているのは「チョクトー族・ミシシッピ・バンド」だけである。

チョクトー族ミシシッピ・バンドは1945年4月20日に内務省インディアン局の公認を受け、「復活」した。現在、カジノ経営を拡大する一方で、同州中央部で2002年には、4000人収容規模のプール娯楽施設「ガイザー・フォールズ・ウォーター・テーマパーク」を開場させた。

強制移住を拒んでこの地に留まった残りのチョクトー族やナチェス族たちは、アメリカ連邦政府によって絶滅部族とされ、同州には存在しないことになっている。

≪アメリカ連邦政府が公認しているインディアン部族≫

チョクトー族・ミシシッピ・バンド(MBCI)」


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