ミシガン州
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1792年8月には最初の民主的選挙が行われ、ニューアーク(現在のナイアガラオンザレイク市)にあった新しい植民地議会に代議員が派遣された[7]

1794年のジェイ条約で交渉された条件に従い、イギリスは1796年にデトロイトとミチリマキナックから退き上げた。その後も正確な国境に関する問題は残ったままであり、アメリカ合衆国がアッパー半島を支配したのは1818年、ドラモンド島に支配権を確立したのは1847年になってからだった。
19世紀

米英戦争(1812年-1815年)のとき、ミシガン準州(実質的にデトロイトとその周辺のみ)は1812年のデトロイト包囲戦で、ほとんど無血のまま降伏した。デトロイトを取り戻そうとしたアメリカ軍の試みはリバーレジン虐殺と呼ばれる大敗に終わった。この戦闘は現在まで州内で起きた戦闘の中で最も被害の大きなものであり、また米英戦争の中でもアメリカ軍の被害が最も大きなものとなった。1813年のエリー湖の湖上戦後、ミシガンはアメリカ軍が再占領した。その後のカナダ侵略はミシガンから出発し、テムズの戦いが頂点になった。北方の地はイギリス軍が守りきり、休戦条約によって以前の国境が回復された。その後イギリスとの戦争再開を怖れて、ミシガンにはウェイン砦(現在のフォートウェイン)など多くの砦が建設された。松材の切り出し、1800年代後半

その後の人口増加は緩りだったが、1825年にエリー運河が開通し、五大湖とハドソン川およびニューヨーク市が結ばれた。この新しいルートにより、大勢の開拓者が地域に流入し、農夫や商人となり、穀物、木材、鉄鉱石を出荷した。1830年代までに地域人口は8万人となり、州昇格を請願できる数に達していた。1835年10月、住民は1835年憲法を承認し、州政府ができたが、アメリカ合衆国議会の承認は、トレド戦争と呼ばれたオハイオ州との境界紛争があったために遅れた。アメリカ合衆国議会は「トレド・ストリップ」をオハイオ州に与えた。ミシガンはその妥協案としてアッパー半島西部を受け取り、1837年1月26日に州に昇格した。アッパー半島は木材、鉄、銅など豊富な資源があることが分かった。ミシガン州は1850年代から1880年代まで木材生産量で国内上位にいた。1850年代以降は鉄道が成長の原動力となり、デトロイトはその重要な中継点になった。

1854年7月6日、共和党の州集会が初めて開催され、党綱領を採択した。ミシガン州は1930年代まで共和党の強い地盤だった。南北戦争では北軍に重大な貢献を果たし、志願兵40個連隊以上を送った。

1817年に設立され、1841年にアナーバーに移転したミシガン大学は古典的な学術教育を行い、1849年に設立されたミシガン州立師範学校(現在の東ミシガン大学)は教師を養成し、近代化を推進する公共教育の推進役となった。1899年、ミシガン州立師範学校は国内で初めて4年制の課程を組む師範学校になった。1855年にイーストランシングに設立されたミシガン農業カレッジ(現在のミシガン州立大学)は、公有地認可大学の草分けであり、1862年制定のモリル法で認められた大学のモデルになった。他にも多くの私立大学が作られ、19世紀後半には小さな都市でも高校を開いた[8]
20世紀と21世紀「w:History of Ford Motor Company」も参照フォード社のウィローラン生産ラインで作られるB-24爆撃機

ミシガン州の経済は20世紀への変わり目に大きく変化した。ランサム・E・オールズ、ジョン・ドッジとホレス・ドッジの兄弟、ヘンリー・リーランド、デイビッド・ダンバー・ビュイック、ヘンリー・ジョイ、チャールズ・キング、ヘンリー・フォードなど多くの人物が自動車産業の立ち上がりに工学的なノウハウや技術を集中して投入した[9]。フォード社のハイランドパーク工場で採用された移動式組み立てラインの開発が輸送の新しい時代の始まりだった。蒸気船や鉄道と同様自動車は遠距離を走ることのできる手段となった。公共交通の形態以上に個人の生活を変革させた。自動車産業はデトロイトとミシガン州の主要産業となり、アメリカ合衆国のみならず、世界の大半で生活の社会経済的な側面を変えた。

自動車産業はその成長と共にデトロイトでの雇用機会を生みだし、ヨーロッパからの移民およびアメリカ合衆国の南部などから移住者を呼んだ。1920年にはデトロイト市が国内第4位の都市になっていた[10]。住宅が不足し、人口増に対応するために長い年月を要した。1930年代、多くの移民が入ってきていたので、公立学校では30以上の言語が話され、少数民族の社会はその歴史遺産を祝う祭が毎年開催されるようになった。長い間に移民と移住者はデトロイトの多様な都市文化に貢献し、1960年代に多様な歌手やグループが主導したモータウン・サウンドなどポピュラー音楽の流れを作った。デトロイト中心街の高層ビル

州内第2の都市グランドラピッズも製造業の重要な中心である。1838年以降家具産業でも注目され、世界の主要家具製造会社5社の事務所がある。市内にはスチールケースアムウェイ、マイアーなど大会社が入っている。またGEアビエーション・システムズのセンターもある。

1910年、ミシガン州は最初の大統領予備選挙を行った。工業の急速な発展と共に全米自動車労働組合の興隆など産業労働組合の重要な中心地になった。

1920年、デトロイトのラジオ放送局 WWJ が国内で初めて定時番組を流す放送局になった。この1920年代には国内でも最大級で華美な高層ビルが市内に建設された。特にフィッシャー・ビル、キャディラック・プレース、ガーディアン・ビルは国定歴史建造物に指定されている。

デトロイトは1950年に人口1,849,568人を数えた[11]第二次世界大戦後、市の中核部より外側の郊外地域に住宅が開発された。新しく建設された州間高速道路によって通勤が容易になった。自動車産業の近代の進歩は自動化、ハイテク産業を増加させ、1960年代以降の郊外部成長に拍車を掛けた。ホワイト・フライトも原因の一つだった。しかしその一方で、デトロイト市の人口は減少に転じるようになった。

ミシガン州は国内で自動車産業をリードしており、他にも中西部諸州、カナダのオンタリオ州、南部諸州に自動車産業がある[12]。州の人口は1千万人以上となり、国内第10位の人口で影響力を持つ州となった。デトロイト市は五大湖メガロポリスの中央に位置し、シカゴ都市圏に次ぐ中西部第2位の大都市圏を形成している。ミシガン大学医学校のバイオケミカル科学研究ビル、ミシガン生命科学コリダーの中心である

デトロイト大都市圏は州南東部にあり、州内最大の都市圏である(州人口の半分以上がフリントやアナーバーなども含めた広域都市圏に住んでいる)。また国内では第12位の広域都市圏である。州西部のグランドラピッズ都市圏は州内でも成長速度の高いものであり、2020年ではその広域都市圏の人口は140万人以上に達していた[13]。2019年にデトロイト大都市圏には年間1,900万人以上の観光客が訪れている[14]。州内には北部のグランドトラバース湾にあるトラバースシティなど人気のある観光地が多い。2017年に観光収入は年間247億ドルに上り、224,476人の雇用を支えている[15]。2009年の170億ドル年間観光収入と193,000人の雇用を支えていると比べたら成長が達成した[16]

研究開発費では国内第3位ないし第4位になっている[17]。主要な研究開発機関としては、ミシガン大学、ミシガン州立大学、ウェイン州立大学があり、これらは州経済の重要なパートナーであり、また州大学研究コリダーを支えている。公立大学は毎年15億ドルを超える研究開発費を得ている[18]。農業の分野でも、ブルーベリー、サクランボ、リンゴ、ブドウ、モモなど果樹の栽培で指導的な役割を果たしている。
地理 マキノー島のマルケット公園参照:ミシガン州の郡一覧 en:Islands of Michigan en:List of Michigan rivers

ミシガン州は西経82度7分から西経90度25分の間に位置し、マキナック海峡によって隔てられた2つの半島(アッパー半島ロウアー半島)からなる。北緯45度線が州内を通り、ハイウェイやポーラー・イクエーター・トレイルにはその表示がある[19]。45度線は、ロウアー半島ではトラバースシティ近くのミッションポイント灯台、ゲイロードとアルピーナの町、アッパー半島ではメノミニーの町を通っている。アッパー半島でウィスコンシン川を経由してミシシッピ川に水が流れる地域があり、またロウアー半島ではカンカキー川とイリノイ川を介してやはりミシシッピ川に注ぐ小さな地域があるが、この2か所を例外として、州内の水は五大湖に流れ込み、セントローレンス川に至る。この様に州内の水の大半が五大湖セントローレンス水路に流れているのはミシガン州のみである。スリーピングベア砂丘

ミシガン州の総面積(湖水などの水域を含む)は250,493km2で、ミシシッピ川より東の州の中では最大、全米でも第11位である。しかし、水域が総面積の4割以上を占め、陸地面積は147,122km2で、全米で第22位にとどまる。

ミシガン州は南部でインディアナ州オハイオ州、およびアッパー半島の南西部でウィスコンシン州(メノミニー川とモントリオール川)と陸地で接している。


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