ミシェル・オニール
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しかしながら民主統一党が北アイルランド議定書(英語版)への反対を理由に首席副大臣の指名を拒否していたため、就任は2年ずれ込んだ。

2024年2月3日、オニールは北アイルランド首席大臣に任命された。北アイルランドでナショナリストが首席大臣となるのは史上初である[注釈 1]
出自

オニールはアイルランド共和国コーク県の町ファーモイで生まれた[9]。彼女の家は北アイルランドティロン県クロノー(英語版)出身のアイルランド人共和主義者(英語版)家族だった。彼女の父ブレンダン・ドリスはIRA暫定派の受刑者で、シン・フェイン党員だった[10]。彼女のおじポール・ドリスはかつてNORAID(英語版)の総裁を務めた[11]。従兄弟のトニー・ドリスは1991年の特殊空挺部隊による襲撃(英語版)によって殺害された3人のIRA構成員のひとりだった[12]。別のいとこでIRA義勇兵のガレス・マラキー・ドリスは1997年コーリスランド攻撃(英語版)で銃撃され負傷した[13]

オニールはティロン県ダンガノン文法学校聖パトリック女学院(英語版)を卒業している。その後、政治家になる前簿記会計士になるための教育を受けていた[1]
政歴
初期

オニールは10代の頃から共和派(英語版)として政治に関わるようになりダンガノン市議会議員を務めた父の選挙区での仕事を手伝った[10][11]。彼女は1998年ベルファスト合意の後、21歳でシン・フェイン党に入党し[1][12]北アイルランド議会でフランシー・モロイ(英語版)のアドバイザーとして働き始めた。2005年までその仕事を続け[14]、その後かつての父親と同じようにトーレント(Torrent)選挙区選出のダンガノン・アンド・サウス・ティロン区(英語版)議員となった[15]。オニールは2007年の選挙(英語版)にてシン・フェイン党の同僚ジェラルディン・ドゥーガン(英語版)の後を継いでミッド・アルスター(英語版)から北アイルランド議員(英語版)に選出された[15]

平議員(英語版)の一方で、ストーモントの教育・保健委員会に出席している[16]。2010年にダンガノン・アンド・サウス・ティロン区長へと就任している[17]。女性としては歴代初であり、また就任時の年齢も同率1位の若さであった[10]。彼女は区長を2011年まで務めた[15]
農業・地域開発大臣

2011年北アイルランド議会選挙(英語版)の後、オニールはミシェル・ギルダニュー(英語版)の後を継いで北アイルランド行政部(英語版)の農業・地域発展大臣(英語版)に就任した[18]。彼女の大臣としての主要施策のひとつは、内国公務分権の一環として農業・地域発展省(英語版)の事務所をベルファストからバリケリー(英語版)にあるイギリス陸軍の兵舎跡への移転を決定したことである[19]。この決定はストラベン(英語版)をより相応しい場所としていた内部報告書と反するものであった[1]


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