ミサ
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なお、ミサのことを漢字では「弥撒(彌撒)」と書き、中国のみならず古くは日本でも漢字で書かれることがあったが[7]、現代の日本のカトリック教会ではこのような漢字表記が使用されることはない[注釈 2]
ラテン語

「ミサ」という名称は、式の最後のラテン語の言葉「Ite, missa est.」(ite = 行きなさい、missa est = 派遣である)というフレーズの中の語に由来し、missa(ミサ)は、ラテン語で「派遣」を意味する missio(ミッシオ)に由来すると言われる[1]

このミサの最後の「Ite, missa est.」という言葉の意味については、近年「行きましょう、ミサを終わります」と訳されることがあるが、ラテン語の文法を正確に理解するならば、この文章には、二人称複数(あなたたち)に対する命令形として「ite」(行け)がまずあり、次に、三人称単数の女性を主語とした「missa est」(送られた)という過去形の命題が続いている。

トマス・アクィナスは、「missa est」(送られた)の主語は「hostia」(いけにえ)であると断言している。まず「ミサ」という名称の由来を神学大全の中で次のように言っている。「このためにもミサと呼ばれている。その理由は、会衆が司祭を通して天主に祈りを送るように、司祭は天使を通して祈りを送るから、或いはキリストは私たちのために送られたいけにえ(hostia nobis missa) であるから。故に、ミサの終わりに、助祭は祝日に会衆にこう言う「行け、送られた」(ite, Missa est) と、すなわち、天主に受け入れられんがために、いけにえは天主に天使を通して送られた、との謂いである。」[8]

また「ヴェディングハウゼンのリカルドへのミサの解説」の中では「諸聖人のためのミサの終わりに、「行け、送られた(ite, Missa est)」という言葉を通して、あたかも「我々のために聖父によっていけにえは送られた、或いは我々によって聖父へと再び送られた、故に、かの安息に早く入るように急げ」と言われ、聖人達がそこにおいてすでに憩っているかの栄光へと我々は見いだされる。」と説明している[9]
概説ミサを司式する教皇ベネディクト16世

キリスト教はもともとユダヤ教の中から生まれたため、聖体祭儀(ミサ)もユダヤ教のシナゴーグで行われていた礼拝の形式(聖書の朗読と説教、祈り)に、キリスト教徒がイエス・キリスト最後の晩餐を記念して行っていた聖体の典礼と会食が組み合わされて出来たものである[10]

キリストは最後の晩餐の席でパンを取り、「これはわたしの体である」と言い、またぶどう酒について「これはわたしの血」と言った。キリスト教徒は二千年にわたって、キリストの復活を祝うために毎週日曜日に集まり、この「主の晩餐」を行ってきた。これがカトリック教会で「ミサ」(感謝の祭儀)と呼ばれる礼拝集会である。ミサはキリストの生涯、特にその死と復活を思い起こし、キリストをとおして実現した救いの恵みに感謝し、パンとぶどう酒のしるしによってキリスト信者がキリストと一つに結ばれるもので、カトリック信者にとってもっとも大切な秘跡(神の恵みのしるし)とされている[11]

聖体祭儀には地方・時代においていくつかの形式が生まれたが(ミラノ典礼、アンティオキア典礼など)、通常ミサというときはローマ典礼を表す。そもそも「ミサ」という語自体がローマ典礼のラテン語典礼文に由来する。ローマ典礼は教皇庁バチカン)の配下にある司教区(つまりは世界中のほとんど)で行われている。日本のカトリック教会もローマ典礼である。

カトリック教会の典礼は1960年代の第2バチカン公会議を反映して改革され、典礼言語としてラテン語以外に各国・各地域の言語を使うことができるようになった。日本のカトリック教会でも、昭和40年代前半までミサはラテン語で行われていた。また、それまではミサは司祭1人で執り行い、司祭が信徒に背を向ける形で祭壇に向かう形(背面式)だったが、第2バチカン公会議以降の改革でミサ本来の意味が再検討され、数人の司祭によるミサの挙行(共同司式)も認められ、式自体も司祭が信徒に向かう形(対面式)で行われるようになった。詳細は「新しいミサ」を参照

なお、この改革以前の「トリエント・ミサ」と呼ばれるミサ形式から、聖公会の聖餐式やルター派、ドイツの合同教会の礼拝が生まれた。儀式を外面から眺める限り、これらの教会の礼拝はよく似ている。

ミサは基本的に聖堂や教会堂において執り行われるが、特別な場合は屋外や一般の室内で行われることもある。カトリックでは司祭は毎日必ずミサを捧げなければならないため、ミサはすべてのカトリック教会で(司祭が常駐しない巡回教会や、司祭が不在の場合を除いて)毎日執り行われている。ミサを執行することを「ミサをたてる」とも言う。司祭が一人でミサを執り行うこともあるが、通常はミサに参加する(「与る」(あずかる)とも表現される)信徒(会衆)と共に行われる。日曜日のミサを「主日のミサ」、平日のミサを「週日のミサ」、降誕祭(クリスマス)など特別な祝祭日のミサを「祝日のミサ」として区別する。信徒は、毎日曜日(主日)といくつかの守るべき祝日のミサにあずかることが務めとされている。

かつて20世紀半ばまではミサの行われる時間が厳しく制限されており、降誕祭と復活祭の前夜を除いて午後1時から夜明けの1時間前以前まで行うことができなかった。今ではこの制限は廃止されている。また、現代では土曜日の夕方以降に行われるミサも日曜日(主日)のミサとして扱うことができるため、日曜日にミサに参加できない信徒の便宜を図るため、多くの教会では土曜日の夕方にも「主日のミサ」が行われている。

また以前はミサの前は日付が変わってからミサまでの禁食が義務付けられていたが、現在ではミサの1時間前からの禁食に緩和されている。ただし水・薬は禁食の対象ではない。

ミサにはすべてのミサに共通の部分と、そのミサの目的や日時によって変わる部分がある。前者を通常文、後者を固有文という。
ユダヤ教との関連

ユダヤ教との関連において、トリエント公会議1545-1563年)は、その第22総会において「ミサ聖祭とは、旧約の種々のいけにえによって予型とされ、示されていた(創世記4:4、8:20、12:8、12:22、出エジプト記随所参照)善が実現し完成したものであり、新約のいけにえであるミサ聖祭は旧約のいけにえのすべてを含んでいる」とする。トリエント公会議は、そのことを、次のようにユダヤ教のいけにえとミサ聖祭との関係について宣言した。

使徒パウロによれば、旧約時代にはレビ族の司祭職は完全なものでなかったため、慈悲深い父である天主の計画によって、メルキセデクの位にひとしい他の司祭を立てる必要があった(創世記14:18、詩編109:4、ヘブライ7:11)。それがすなわち、私たちの主イエズス・キリストであって、キリストは「聖化すべきすべての人々を完全なもの」(ヘブライ10:14)にすることができた。…」


「イスラエルの子たちがエジプトからの脱出の記念としてささげた旧約の過越(出エジプト記12:1以降)を祝った後、キリストは新しい過越の祭を制定した。キリストは自分がこの世から父の所に移る時、自分の血を流すことによってわれわれを救い、「闇の権力から救い出し、自分の国に移した」(コロサイ1:13)。キリストはその記念として、目に見えるしるしのもとに、教会において司祭たちによって自分をささげるのである。」


「清い供え物が、それを供える者の側からの欠点または罪悪によってけがされることができない。この供え物は、主がマラキア預言者を通じて予告したものであり、諸国民の間で偉大な主の名に、主の名のためにささげられる(マラキ1:11参照)。使徒パウロもコリント人に書き送った手紙の中で、この供え物について述べている。すなわち、悪魔の食卓に列席してけがれた者は、主の食卓に列席することはできないと。食卓という時、パウロは祭壇をさしている(コリント第一10:21参照)。

ミサの本質
旧約のいけにえの完成でありキリストの教会のいけにえ

トリエント公会議はその第22総会において次のようにミサ聖祭について宣言した。

「私たちの天主であり、主であるキリストは、十字架の祭壇の上で死に、「一度で永久に」(ヘブライ10:14)父である天主に自分をささげて、救いのわざを完成した。しかしキリストの司祭職は死によって消去るものではなかったので(ヘブライ7:24、27)、敵の手に渡される夜(コリント第一11:13)、最後の晩さんにおいて、自分の愛する花嫁である教会に目に見えるいけにえ(: visible sacrifice)を残したのである(人間のためにはこれが必要であった)(第1条)。これによって、十字架上で一度血を流してささげたものが表わされ、その記憶が世の終りまで続き(コリント第一11:23以降)、その救いの力によってわれわれが毎日犯す罪が赦されるのである。キリストは「メルキセデクの位にひとしい永遠の司祭」(詩編109:4)であると宣言して、自分の体と血をパンとブドー酒の形色のもとに父である天主にささげた。そして、使徒たちを新約の司祭として制定し、パンとブドー酒の形色のもとに拝領するように自分の体と血を与えた。使徒たちとその後継者たる司祭職に、「私の記念としてこれを行え」(ルカ22:19、コリント第一11:24)という言葉で、それをささげるように命じた。

罪の償いのための真のいけにえ

トリエント公会議は言葉を続けてこう宣言する。

「ミサにおいて行われるこの神的ないけにえの中に、十字架の祭壇上で血を流して自分自身を天主にささげた(ヘブライ9:27)その同じキリストが現存し、血を流さずに自分自身をささげている。したがって、聖なる公会議は次のことを教える。すなわち、ミサ聖祭は真に罪の償いのいけにえである(: this sacrifice is truly propritiatory)(第3条)と。」


「われわれが真心と正しい信仰、畏敬の念と痛悔と償いの心をもって天主に近づくならば、「適切な時に慈悲を受け、恩恵を見出すようになる」(ヘブライ4:16)であろう。なぜなら、このいけにえによってなだめられた主は、悔改めの恩恵とたまものを与え、どのように重い大罪さえも赦すからである。すなわち、(十字架のいけにえと祭壇のいけにえであるミサ聖祭とでは)いけにえは同一である。あの時自分を十字架の上でささげたキリストが、今司祭の役務を通してささげているからである。違うのはささげ方だけである。事実、この無血の供え物によって、十字架上の(流血の)ささげものの成果を非常に豊かに受けることができる。しかし、このいけにえ(ミサ)によって十字架上のいけにえが決して廃止されるのではない(第4条)。」

ミサの式次第

以下、ローマ典礼における現行のミサ式次第を解説する。
開祭の儀

司祭が入堂し、祭壇についてミサを開始する。信徒・修道者など会衆がいる場合、ミサの初めには「入祭の歌」として聖歌が歌われることが多い。


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