ミサイル駆逐艦(ミサイルくちくかん、英語: Guided missile destroyer)は、ミサイル艦として建造された駆逐艦。アメリカ海軍では対空戦を重視して艦対空ミサイル(SAM)を搭載した駆逐艦をこのように称してDDGの記号を付しており、艦対艦ミサイルや艦対地ミサイルを搭載しているだけでは該当しない[1]。海上自衛隊でも、同じく艦隊防空ミサイルを搭載した護衛艦にDDGの記号を付しており、ミサイル護衛艦と通称される。 アメリカ海軍は、第二次世界大戦末期より、全く新しい対空兵器である艦対空ミサイル(SAM)の開発に着手していた[1]。まず実用化されたテリアミサイルは、もともとは小型艦向けのシステムとして期待されており、1955年にはギアリング級駆逐艦「ジャイアット」にこれを搭載する改修が行われて、同海軍初のミサイル駆逐艦となった[2]。しかしこの改修の結果、同システムは駆逐艦に搭載するにはあまりに大掛かりであると判断されて[3]、まずは既存の巡洋艦への改修によって装備化されることになり、その後は駆逐艦をベースに大型化した嚮導駆逐艦(Destroyer leader, DL; 後のフリゲート)に搭載されるようになった[4]。しかし航空機の発達に伴って、駆逐艦の主兵装だった12.7センチ砲が急速に陳腐化していたこともあり、駆逐艦でも搭載可能なSAMシステムとしてターター・システムが開発され、1960年より、これを搭載したDDGであるチャールズ・F・アダムズ級が就役を開始した[5]。また各国も競って同ミサイルの導入を図ったものの、高性能とはいえあまりに高価であり、導入は一部のミサイル駆逐艦に限られた[6]。 イギリス海軍では、1962年就役のカウンティ級駆逐艦に国内開発のシースラグを搭載してSAMの運用に着手したが、同級は駆逐艦と軽巡洋艦の中間的な艦と位置づけられており[2]、艦種記号としてはDLG(ミサイル・フリゲート)に類別されていた[7]。これに対し、DDGの記号が付与されたのが42型駆逐艦で[7]、先行する82型駆逐艦と同系統のシーダートを搭載しつつ、艦型を大幅に圧縮した[2]。またフランス海軍では、1962年よりシュルクーフ級駆逐艦の一部をターター搭載DDGとして改装する一方、自国でもマズルカを開発し、1967年就役のシュフラン級駆逐艦に搭載したが[2]、これは米海軍のDLGに相当するものであった[5]。 冷戦構造のもとで西側諸国への対抗を図っていたソ連海軍も、初の新造ミサイル駆逐艦として61型(カシン型)を開発し、1962年より配備を開始した[8]。ただし同型を駆逐艦とするのは西側による分類であって、ソ連海軍自身は大型対潜艦(BPK)と類別していた[9]。これと並行して、カシン型と同じSAMに加えて長射程の艦対艦ミサイル(SSM)も搭載した58型(キンダ型)の開発が進められており、こちらは駆逐艦とされていたが、後にミサイル巡洋艦(RKR)に類別変更された[10][注 1]。 アメリカ海軍では、1960年代初頭より海軍戦術情報システム(NTDS)を配備して、まず艦隊防空の組織化、ついで武器システムとの統合化を進めていた[11]。
歴史
SAM黎明期
テリアを搭載した「ジャイアット」
チャールズ・F・アダムズ級ミサイル駆逐艦
61型大型対潜艦 (カシン型駆逐艦)
システム化の進展