ミケランジェロ・アントニオーニ
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ピンク・フロイドの音楽とともにラストの爆破シーンが高く評価された。1972年毛沢東の妻・江青の依頼を受け、文化大革命期の中国を舞台としたドキュメンタリー『中国』を製作。しかし、中国政府にとって都合の悪い描写を含んでいたため、毛沢東夫妻の反発を受け、中国で公開されたのは30年後のことであった。1975年ジャック・ニコルソンマリア・シュナイダーを起用した『さすらいの二人』を発表。ラストの7分間もの長回しが話題となった。

1980年テレビ映画『Il mistero di Oberwald』で16年ぶりにモニカ・ヴィッティを起用した。1982年、映画監督を主人公にした『ある女の存在証明』を発表。第35回カンヌ国際映画祭で35周年記念賞を受賞した。1983年、それまでの功績が讃えられ、ヴェネツィア国際映画祭で栄誉金獅子賞が授与された。

1985年脳卒中に見舞われ、以後は半身麻痺言語障害を患う。1995年ヴィム・ヴェンダースを共同監督に指名し、自身の短編小説を映画化したオムニバス『愛のめぐりあい』を発表。13年ぶりに映画監督として復帰した。同作にはジョン・マルコヴィッチソフィー・マルソージャン・レノファニー・アルダンイレーヌ・ジャコブなどが起用された他、『夜』で共演したマルチェロ・マストロヤンニとジャンヌ・モローも出演した。同作は第52回ヴェネツィア国際映画祭で国際映画批評家連盟賞を受賞した。同年、第67回アカデミー賞名誉賞を受賞した。

2007年7月30日、ローマにて94歳で死去した。同日にはイングマール・ベルイマンも死去している。
私生活

1942年、レティツィア・バルボーニと結婚するが、1954年に離婚。1968年、『情事』や『赤い砂漠』など、アントニオーニの6本もの作品に出演し長年パートナーであるモニカ・ヴィッティに、プロポーズしたが、結婚することはなかった。1986年、『ある女の存在証明』に出演したエンリカ・アントニオーニと再婚し、生涯連れ添った。
作風・影響

フェデリコ・フェリーニルキノ・ヴィスコンティなどと並んで、ネオレアリズモ以降のイタリア映画を代表する映画監督として知られる。男女間の愛の不毛、社会に生きる人間の不安や孤独などを描いた作品が多い。1960年代後半からはイギリスアメリカ中国といった国外を舞台にした作品も製作した。

テオ・アンゲロプロスアンドレイ・タルコフスキーなど数多くの映画監督に影響を与えた。ジャン=リュック・ゴダールは『JLG/自画像』(1995年)の中で「自ら映画となる」として、ジャン・ヴィゴと並んでアントニオーニの名前を挙げている。

ブラジルのミュージシャン、カエターノ・ヴェローゾのアルバム『ノイチス・ド・ノルチ』(2000年)にはアントニオーニに捧げられた曲「ミケランジェロ・アントニオーニ」が収録され[2]、この曲はアントニオーニがオムニバス映画『愛の神、エロス』に提供した短編映画『エロスの誘惑?危険な道筋』のサウンドトラックでも使用された[3]
フィルモグラフィー

特記のない作品は監督のみを担当。
長編映画『女ともだち』(1955年)『さすらい』(1957年)欲望』(1966年)

ギリシャからの帰還 (1942年) - 脚本

Ragazze in bianco (1949年)

愛と殺意 Cronaca di un amore (1950年) - 監督・脚本

椿なきシニョーラ La signora senza camelie (1953年) - 監督・脚本

敗北者たち I vinti - オムニバス3篇 (1953年)

女ともだち Le amiche (1955年)

さすらい Il grido (1957年) - 監督・脚本

情事 L'avventura (1960年) - 監督・脚本・原案

La notte (1961年) - 監督・脚本

太陽はひとりぼっち L'eclisse (1962年) - 監督・脚本

赤い砂漠 Il deserto rosso (1964年) - 監督・脚本

欲望 Blow-up (1966年) - 監督・脚本

砂丘 Zabriskie Point (1970年) - 監督・脚本・原案

中国 Chung Kuo Cina (1972年)ドキュメンタリー

さすらいの二人 Professione: Reporter (1975年) - 監督・脚本

ある女の存在証明 Identificazione di una donna (1982年) - 監督・脚本

愛のめぐりあい Al di la delle nuvole (1995年) - 監督・脚本

テレビ映画

カメリアなしの女性 La signora senza camelie (1953年)

Il mistero di Oberwald (1980年)

短編映画

Gente del Po (1947年)ドキュメンタリー

Roma-Montevideo (1948年)

Oltre l'oblio (1948年)

N.U. (1948年)ドキュメンタリー

Superstizione (1949年)ドキュメンタリー

Sette canne, un vestito (1949年)ドキュメンタリー

愛すべき嘘 L'amorosa menzogna (1949年)ドキュメンタリー

Bomarzo (1949年)ドキュメンタリー

La funivia del Faloria (1950年)ドキュメンタリー

自殺の試み Tentato suicido (1953年) - オムニバス『
街の恋』の一篇

Il provino (1965年) - オムニバス『I tre volti』の一篇

Ritorno a Lisca Bianca (1983年)ドキュメンタリー

Kumbha Mela (1989年)ドキュメンタリー

Roma (1989年) - オムニバス『12 registi per 12 citta』の一篇

Noto, Mandorli, Vulcano, Stromboli, carnevale (1993年)ドキュメンタリー

Sicilia (1997年)

ミケランジェロのまなざし Lo sguardo di Michelangelo (2004年)ドキュメンタリー

エロスの誘惑?危険な道筋 The Dangerous Thread of Things (2004年) - オムニバス『愛の神、エロス』の一篇

受賞歴

賞年部門作品結果
ナストロ・ダルジェント賞1948年ドキュメンタリー映画賞『N. U. - Nettezza urbana』受賞
1950年ドキュメンタリー映画賞『愛すべき嘘』受賞
1951年特別賞-受賞
1956年最優秀作品監督賞『女ともだち』受賞
1960年最優秀作品監督賞『情事』ノミネート
脚本賞ノミネート
1962年最優秀作品監督賞『』受賞
1963年最優秀作品監督賞『太陽はひとりぼっち』ノミネート
1965年最優秀作品監督賞『赤い砂漠』ノミネート
1968年外国監督賞『欲望』受賞
1971年外国監督賞『砂丘』ノミネート
1976年最優秀作品監督賞『さすらいの二人』受賞
1983年脚色賞『ある女の存在証明』ノミネート
1995年生涯功労賞-受賞
1996年最優秀作品監督賞『愛のめぐりあい』ノミネート
ヴェネツィア国際映画祭1955年銀獅子賞『女ともだち』受賞
1964年金獅子賞『赤い砂漠』受賞
国際映画批評家連盟賞受賞


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